1999年9月5日(日) 育成プロジェクト


育成プロジェクトの歴史

 アイドル乱立時代と言われる昨今、育成プロジェクトがあちこちで組まれている。

 何はともあれ育成プロジェクトのはしりはあのおニャン子クラブで、その二番煎じでテレビ朝日が桜っ子クラブ、フジテレビが乙女塾、うらりんギャルなどというかたちで様々な育成プロジェクトを展開してきた。

 最近ではテレビ東京のオーディションバラエティASAYANがいわゆるこの育成プロジェクトの変形として、モーニング娘。や太陽とシスコムーン、ソロでは鈴木あみや小林幸恵などを輩出し、話題を集めている。変形といえばTBSの深夜番組ワンダフルのワンダフルガールズ(ワンギャル)や、日テレの雷波少年のサムエル、ウリナリのポケビやブラビなどもいわゆる変形型の育成プロジェクトと言えよう。

 フジテレビで言えば、最近の育成プロジェクトは1年で終了した芸能女学館に半年交差でチェキッ娘がはじまり、これも1年でその幕を閉じようとしている。

チェキッ娘の特徴

 様々な育成プロジェクトの中でチェキッ娘が「第2のおニャン子」と言われていた所以は、フジテレビがプロダクション代わりをつとめて全面的にバックアップしている点、毎週のオーディションと合格者がすぐに次の週の生放送に出て毎日の放送の中で成長していく点、全員(私は本体と呼んでいる)で曲を出したり、そこからソロやユニットがデビューしている点、こなれたタレント性よりも素人っぽさを売ろうとしている点などである。

育成プロジェクトの良さ

 育成プロジェクトの良いところは、まず「彼女たちが育っていく過程が見られる」という点だろう。毎日のように放送があり、最初はテレビになれていなかった娘たちがだんだんとカメラ目線ができるようになったり、オーディションでは音程を外していた歌が曲を出すごとにうまくなっていったり、最初は売れてなかったのにだんだんと売り上げ枚数が上がっていったりと、特に一番最初からこのようなプロジェクトを見ることができればその思い入れも強くなってくる。

 また、あまり何万人規模の大がかりなオーディション番組と違って、昨日まで普通の女の子だった娘が翌週からアイドルになってしまうというサクセスストーリーも良いのだろう。そして普通っぽい娘が20名も集まると、別の勢いを持つようになってくる。単純に1名の娘に100人のファンしかいなくても、20人集まれば2000人ものファンになる。おニャン子クラブで考えれば1人の娘に10000人平均でファンがいた計算になる。この集団パワーは強い!

プロジェクト成否の判断基準

 さて、では数多くある育成プロジェクトの中で何が成功で何が失敗なのかということについて少し考えてみたい。

 まず、1つ目の見方として「デビューして残った人がいれば成功」という考え方である。フジテレビにうらりんギャルという育成プロジェクト(番組は「今田耕二の渋谷系うらりんご」)があったが、これはあまり記憶にない人が多いのでその意味では失敗だったかも知れない。しかし、マツキヨのCMで有名になった「何でも欲しがるマミちゃん」山口もえはうらりんギャル出身であるから、この見方で言えば成功となる。

 そして、2つ目の見方は「プロジェクト全体が盛り上がれば成功」という考え方である。育成プロジェクトとして最も成功し、大ブームを巻き起こしたおニャン子クラブは、全体の盛り上がりがあったからこそソロやユニットが毎週のようにオリコンで1位をとり続け、解散後の個人活動の原動力となった。この点で言えば、おニャン子クラブ以降でこの意味での成功を収めた育成プロジェクトはないだろう。

 また、まったく違う見方で「売れない娘が多ければ失敗」という考え方もある。ある意味何十人もいれば「黙っていても売れる娘」「戦略によっては売れる娘」「戦略如何によらず売り方が難しい娘」などのタイプがあって、全員を成功させるなどと言うことは当然あり得ない。しかし「プロジェクトの終了後にどれだけの娘が残れるか」というのはそのプロジェクトの成否の判断基準になり得るはずである。

チェキッ娘は成功だったのか

 チェキッ娘のプロジェクト終了が発表され、「全員卒業」まであと2ヶ月となった。

 冷静に見ると20名のチェキッ娘メンバーのうちソロデビューできたのは2名であった。おニャン子クラブの時は37名中15名がソロデビューしている。この違いを百分率にしてみると10%と41%になり、相対的にチェキッ娘の勢いのなさが数字としてよくわかる。こうしてみるとお世辞にも成功だったとは言えないだろう。

 もちろん、プロジェクトを途中で離れた下川みくにが年末あたりにアルペンのCM起用か何かで大ブレイクしたり、プロジェクト最後の切り札としてデビューした上田愛美がブレイクして、後に女優に転向したり、これ以外のメンバーが何かのきっかけでブレイクすればチェキッ娘というプロジェクトの存在価値は認められると思う。

 ただ、やはり残念なのは本体のブレイク寸前でのプロジェクト打ち切りである。例えばチェキッ娘の暫定的な成功を「全国レベルのアイドル集団として、オリコン10位以内に入るくらいの人気を得る」と決めたとする。おそらくプロジェクトとしては、おニャン子までとは言わなくてもこのぐらいの希望水準はあったはずである。もし、この希望水準を達成した段階を成功と位置づけた場合、個人的にはあと半年あれば達成できたような気がする。しかし、これはプロジェクトが打ち切られた時点で達成の可能性なし・・・つまり失敗なのである。

 起業家育成のセミナーに行くと「成功とはやり続けることである」と言われる。基本的には失敗を幾度となく繰り返したあとにあるのが成功と言われている。エジソンでさえ電球を発明するのに1万回とも10万回とも言われる失敗をしている。もし彼が途中であきらめていたら彼の功績は後世には残らなかっただろうし、その意味で言えば、プロジェクトが希望水準に達しないうちに打ち切られたということはイコール失敗なのである。

 チェキッ娘というプロジェクトにはスポンサーや時代背景など確かに不利な条件は重なったとは思うが、たった1年で「失敗だったから打ち切ろう」と判断したフジテレビ側に私たちファンとしては多少の無念さが残る。

私がチェキッ娘をプロデュースするなら

 さて、過ぎたことや決まったことをとやかく言っていても仕方がないので、私がチェキッ娘をプロデュースするならという大それたことを書いてしまおうと思う。

 おそらく私も「DAIBAッテキ!!」と同じように最初の20人は毎週のオーディションで選ぶ方法を取ると思う。ただ、審査員の加点以外にテレドームの投票を(鈴木あみの時と同じく)メインにし、「視聴者が選んだ」という意識を高めるようにする。一定以上の票数もしくは割合が満たされれば複数名の合格もあり得るようにする。

 そして、デビュー曲からフロントメンバー制度を導入し、このフロントメンバーも20名の合格者からオーディションで選出することにする。これにより、合格したメンバーで本気で前に行ってアピールしたい人はもっともっと頑張るだろう。このようにして視聴者と一体になりながら、グループ内のレベルも上げていくというASAYAN方式ですべてを決めていくようにする。

 デビュー曲が無事に発売され、落ち着きそうな感じを見せた矢先、出たがりや(笑)の水口プロデューサーが登場し、重大発表をする。その内容は・・・

「チェキッ娘を解散し、再オーディションで2代目チェキッ娘を選出します。フロントメンバーはシードとします」

 これで、メンバーにも視聴者にも緊張感が生まれる。「せっかくチェキッ娘になったのに・・・」「せっかく応援してるのに・・・」このような想いが交錯する中、無情にも初代チェキッ娘は解散、2代目チェキッ娘オーディションが早速行われる。

 2度目のオーディション、初代チェキッ娘はある意味では有利だが、気を抜くことはできない。毎週初代1名に対し挑戦者が4名という過酷な条件の中で視聴者参加型オーディションバトルが展開される。

 このようなことを繰り返し、たまには「今回は解散なし」とか「今までのチェキッ娘全員で曲を出します」とかという話題性を作りながら、ソロデビューやユニットなども楽曲先行で歌うメンバーを公開オーディションするなど、とにかく「視聴者参加」「すべてオーディションで決定」という原則の中で、メンバーがチェキッ娘から外に出ても頑張っていけるような仕組みを取るのである。

 そしてチェキッ娘という育成プロジェクトは基本的には永遠に続く。年齢制限や期間制限を設ければ、常に緊張感と動きのある状態を保つことができ、決してプロジェクト自体が守りに入ることはなくなると思う。

 無謀なことを含めてこんなことを考えてみたが、いろいろな番組のうまくいっているところを生かした番組を作るとすれば、大筋で以上のような骨組みで行けばある程度当たるのではないかと思う。

 フジテレビは当分育成プロジェクトはしないと思うけれども、もしいつかチェキッ娘の続きをすることがあれば、こんなことも参考にしていただければと思う。

 以上、今週のコラムでした。

1999年9月5日 BATCH



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