1999年10月3日(日) 番組の終了


DAIBAクシン!!3番組の最終回

 最後の生放送、DAIBAクシン!!GOLDの最終回のとき、私は仕事で神戸にいた。チェキッ娘で遊ばせてもらった半年間のブランクを埋めるためにイベントに参加したのだ。そのイベントが行われたワールド記念ホールは、チェキッ娘のラストコンサートの行われる東京ベイNKホールに雰囲気が似ている。本物のホールは昨年末のHEY!HEY!HEY!の特番で確認することができるが、私は神戸の会場でイベントに参加しながら来るべき11.3の光景を目に浮かべていた。

 イベントが終わり、東京へ戻ってからGOLDとちぇきべえの最終回の映像を見た。確かに泣けた部分はあったけれども、個人的には「生で見ていない」という緊張感のなさと「これで最後ではない(ラストコンサートがある)」という部分で“感動のラストで号泣!!”みたいなことはなかった。涙は11.3までおあずけといった感じが私の中にはあるが、皆さんはいかがだろうか。

 さらに番組のラストがチェーンという中途半端な終わり方で、見ている方も何か拍子抜けという感じがするが、それよりも何よりもチェーンの最終回に(おそらく)局のミスで新聞にもフジテレビサイトの番組表にも「最終回」の表示がされていなかった。視聴率の取れない番組の最後というのはこんなものなのだろうか・・・

 今になって冷静に振り返ると、番組の終了が決定して10月改編に向かって動き出す頃から番組の作りが粗くなっていたような気がする。生放送の緊張感がたまらないGOLDが録画で行われたり、DAIBAッテキ時代のようなドタバタを思い出すかのような企画をやってみたり、お約束だが総集編をやってみたり・・・とにかく「番組終了の決定」というのはスタッフにとっては「次を考えなくてはならない」ということなので、視聴率や内容などにこだわっている暇などなかったのだろう。

 夏休みが終わって急に時間的な余裕ができたチェキッ娘が他のメディアに出ていたかというとそんなことはなかった。多少のラジオ出演などはあったようだが、基本的に『ありがとう』のプロモーションを目的に各番組に出たという話は聞いていない。ポニーキャニオンとしてもさほど売り上げの期待できないところにお金を使うのは気が進まなかったのだろう。その肝心の『ありがとう』はオリコン初登場36位、推定売上枚数は8130枚であった。

ファンに待ち受けている試練

 いよいよ10月に入り、「DAIBAクシン!!」という表示が新聞タイトルに出てこなくなった。チェーンの最終回もあっけなく終わってしまったので何となくまだ続くような感覚が残っているが、こういう客観的なものを見てしまうといよいよ終わってしまったことを実感する。

 週6回の「チェキッ娘的生活」が身についてしまっている私たちにとって、この状態はなかなか厳しいものである。録画したビデオが山ほど積んであるのにそれを見る気にすらならない。こうなることは頭でわかっていたのにもかかわらず気持ちがついていかない、そんなところなのだろう。

 チェキッ娘としては10月8日の日本テレビ「うれる堂」で本体の出演は最後になると言われている。今後、各番組をチェックする我々にはとてつもない試練が待ち受けている。なぜなら今までは1人でも「チェキッ娘」というくくりでゲスト名が表記されていたが、今後はそういう表記はされないし、メンバーは個人名としてはまったく無名なのでゲスト名表記もされないだろう。ましてやゲストに呼ばれることすらないかも知れない。レギュラー番組とプロジェクトの終了というのは本当にむなしいものである。

ラスト1ヶ月をどう過ごすか

 11.3のラストコンサートまでちょうど1ヶ月を残すのみとなった。

 METAMOの学園祭を残して主だったイベントの予定もないし、ファンとしては本当に寂しい1ヶ月間を過ごさなければならない。

 ラスト1ヶ月、私自身はもう一度自分自身がチェキッ娘とともに過ごしてきた約半年間のことを振り返り、録画したビデオや発売されるビデオなどを見ながら、またCD等を聞き直して歌詞をチェックしたりしながら、来るべき11.3に向けて再始動していきたいと思う。

 そして、このコラムを毎週のように見ていただいた皆さんと、11.3ベイNKホールで最後の時間を共有できれば幸いに思います。

 以上、今週のコラムでした。

1999年10月3日 BATCH

 「今週のコラム」もリアルタイムな話題を取り扱うのはおそらく今週で最後となります。プロジェクトのラストに向け、これから約1ヶ月間をかけてチェキッ娘プロジェクトの総括的な内容でコラムを書いていく予定にしていますのでお楽しみに・・・


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