今回、特別にチェキッ娘に注目し始めたときに書いた文章を載せようと思う。今とはだいぶ考え方も見方も違うが、ノーカットで掲載することにした。

永遠の天使たち

1999.6.4/5 written by BATCH

<プロローグ>

 永遠・・・彼女たちにこの言葉は似合わないだろう
 そう、このプロジェクトには必ずエンディングが存在する
 それが華やかなものになるのか、そうではないのか
 その答えは、まだ誰にもわからない・・・

<最初の印象>

 彼女たちのプロジェクトが始まった時
 個人的に興味は少しあったが、番組自体は単なる普通の女子高生がバカ騒ぎしているだけにしか見えなかった。

 そのプロジェクトが始まって約半年して
 ふとしたきっかけで土曜昼の1時間番組を見る機会があった
 最初のうちは、やはり単なる普通の女子高生たちの集まりにしか見えなかったが、2度目の放送で僕の目に止まった女の子がいた
 彼女を一目見たとき、記憶は13年の月日をさかのぼった
 中学生になりたての時、ブラウン管の中に見たあの衝撃的な出会いのことを・・・

<13年前のできごと>

 当時、中学に入学したばかりの僕は
 帰宅後、夕食前にあるこの番組を見るのが密かな楽しみであった

 “夕やけニャンニャン”
 今となってはアヤシイ店にでもついてしまいそうなこのような番組タイトルをどうして公然とつけられたのか不思議でならないが、とにかくこの番組に出てくる、少し年上の“手の届かない隣のお姉さん”たちに急速に惹かれていった

 当時のおニャン子クラブは、河合その子、中島美春が卒業し、第U期に入ったばかりであった。
 そのお姉さんたちは、当時で20名くらいいただろうか
 中でも一人、僕の心をあっという間にさらっていってしまった人がいた
 “会員番号16番、高井麻巳子”その人であった

 あの13年前、僕の心を奪ったその笑顔は、作詞家秋元康氏の妻となってからも、今だ色あせることはない。そして、永遠に・・・

<新しいプロジェクト>

 現在進行中のプロジェクト“チェキッ娘”は当時のおニャン子を知る人なら誰しもが“第二のおニャン子”だと思うだろう
 実際そう言う批評は多いし、少なからず僕もそう思っている

 ただ、僕が思っていることは、どちらかというと二番煎じ的なものよりも前向きに、そして、このプロジェクトをファンという立場でなんとしても成功させてあげたいというものである。

 それは、少しだけのレコードを買って、テレビやラジオを欠かさずに見る努力をすることでしか応援するすべのなかった、そして、気がつくと解散を迎えてしまっていたあのときの後悔を決して繰り返したくないという心理なのかも知れない。

 僕は知っている。どの育成プロジェクトにも必ず終わりがあることを・・・。
 そう、あの大ブームのおニャン子でさえ結成から解散までわずか2年半しかなかった。
 そして、もうこのプロジェクトもすでにスタートから8ヶ月を経過している。

<昔・・・そして今>

 番号だけで言えば52番まであったおニャン子が10年余を経た現在、芸能界にはまだ5名近い旧おニャン子メンバーが活躍を続けている。
 それを考えると、初回視聴率3.8%のあの番組から始まったあのプロジェクトが、いかに大きな成功を収めたのかがわかる。
 いや、解散から12年たった今でも“おニャン子クラブプロジェクト”は終わっていないのかも知れない。
 私たちの心の中で、彼女たちは永遠に・・・

 フジテレビは“おニャン子”のあと、いくつかの育成プロジェクトを行ったが、基本的に“おニャン子”に匹敵するような結果は収められなかった。
 というよりも成果はその一割にも満たなかったと言っていいだろう。

 今回の“チェキッ娘”プロジェクトは、夕方の生放送オーディション、秋元康事務所の制作協力、本体全員でのCDデビューなど、“おニャン子”の成功法則にのっとった方法で着実に進行させているのがうかがえる。

 多くの人は人は“二番煎じ”とか“柳の下にドジョウは2匹いない”などと言うかも知れない。
 しかし、それでも良いのではないだろうか?
 たまたまあの時、時代がそれを求め、時代が後押ししておニャン子ブームが起こり、多くの普通の女の子が華々しく芸能界に羽ばたいていった。
 このプロジェクトには、まだ時代の後押しはないかも知れない。しかし、確実に時代がそれを求めている。そう、10年以上も遠ざかっていたこのようなプロジェクトに対して、僕自身が急速にのめり込んでしまったのだから・・・
 “二番煎じ”という言葉はこのプロジェクトがおニャン子を抜くまで必ずつきまとう言葉である
 ただもし仮にそうだったとしても、夢を持った少女たちが最終的にソロで羽ばたいてゆけるのであれば、このプロジェクトは成功と言えるだろう。

<気になるあの娘は・・・>

 チェキッ娘というプロジェクトに本気で注目するきっかけを作ってくれたのはID:010の久志麻理奈という16歳の女の子である
 彼女は、あの時急速にはまっていった高井麻巳子の面影を持っている。何が似ているのか、ハッキリとしたことはよくわからないのだが、雰囲気というか魅力というか、そう言った曖昧なことが2人の共通点である。
 彼女はNEOちゃっきり娘というユニットに所属している。このユニットの曲は、かつてのおニャン子本体の曲のイメージをうまく受け継いでいる。正統派で通しているチェキッ娘本体とは正反対な曲を持ってくることによって、僕のような元おニャン子ファンをはじめ、はじけた女の子たちを見たいというファンの心理をうまくつかんでいる。
 ユニットとしておニャン子と比較対照すると、うしろゆびさされ組に当たるのがNEOちゃっきり娘であろう。

<キャスティングの妙>

 いろいろな比較をしていくと、チェキッ娘とおニャン子には不思議な共通点がある。
 久志麻理奈が高井麻巳子だとすれば、同じユニットの上田愛美はゆうゆになるだろう。
 真っ先にソロデビューした下川みくには河合その子、新井里佳は新田恵里、藤岡麻美は国生さゆり、矢作美樹は永田ルリ子、野崎恵は立見里歌、甲斐田聡美は渡辺美奈代・・・
 この対比の是非は別としても、成功法則に基づいて多くのチェキッ娘メンバーにおニャン子たちのような活躍をしてもらいたいのである。

<チェキッ娘の成績>

 1作目の本体シングル『抱きしめて』は98年12月9日に発売された。作詞・作曲がЯ・Kという、SPEEDの上原多香子と同じ条件ではあり、個人的に非常に好きな曲ではあったのだが、信じられないことにオリコン初登場48位、たった8000枚しか売り上げることができなかった。まあこれがつんくのプロデュースだったら、この時点で解散させられているだろう。
 2作目の本体『はじまり』は99年3月3日、奇しくもあの『だんご3兄弟』と同じ日に発売された。この曲はc/wにNEOかしまし娘、NEOちゃっきり娘の2ユニットを従えて32000枚を売り上げた。オリコン最高位は40位であった。
 3作目の前にID:002の下川みくにが卒業し、広瀬香美のプロデュースによるシングル『BELIEVER〜旅立ちの時〜』を発売し、初登場30位、3週間で2万枚強を売り上げている。
 3作目の本体『最初のキモチ』は99年5月26日に発売され、NEOちゃっきり娘とリトル・マーメード2ユニットのc/wで初登場32位、1週目にして12000枚を売り上げている。

<本体の持つ威力>

 これらの成績を見ただけで、おおかたの人は「大したことないよね」と言うかも知れない。客観的なデータは、デビュー曲で24.7万枚を売り上げたおニャン子の足元にも及んでいない。
 しかし、どのような理由があろうとも、この“チェキッ娘”プロジェクトを今、この時点で終わらせてはならない。これは僕自身が強く思うことである。
 チェキッ娘には久志麻理奈だけでなく、プロジェクト一番の期待がかかる上田愛美、歌唱力ナンバーワンの藤岡麻美、他にも新井里佳、矢作美樹、熊切あさ美、野崎恵、新しいところでは甲斐田聡美、大滝彩乃、加藤真由など時間をかければ間違いなくビッグになる成長見込み株が多数存在する。
 しかし、彼女たち個々の今後の展開は、当分の間チェキッ娘本体の人気がベースとなるだろう。あのおニャン子でさえ、本体の爆発的人気の後押しがなければソロの活躍は不可能であっただろう。
 そう、だから例えファン心理として特定のメンバー以外は見たくないという気持ちがあっても、決して全体を応援することを忘れてはならない。それが基本なのだから・・・

<ローカルと全国区>

 当時の夕ニャンは確か最初から全国区だったように思う。オープニングの時たくさんの系列局のテロップが流れていたのを記憶している。
 しかしDAIBAクシンのオープニングでそのようなものは出ない。そう、チェキッ娘はその名の通り(CXCO)、フジテレビ(CX)の単独プロジェクトなのである。
 おニャン子が全国区のアイドルだったとすれば、チェキッ娘は現在のところ、関東近県の限定アイドルでしかないのだ。1stシングルの売り上げがわずか8000枚、その理由が少しわかったような気がする。
 しかし、3rdシングルが初登場32位、1stライブが3000人規模の会場で行われるなど、本体は着実に成長しつつある。
 衝撃的デビューのおニャン子とは環境自体が大きく違うものの、波は少しずつ起こりつつある。プロジェクトの運営側はそう言った戦略で長期的に考えているのかも知れない。

<下川みくにの卒業について>

 そう言えばID:002下川みくにの卒業は彼女にとって、そしてプロジェクトにとって果たしてベストな選択だったのだろうか?
 下川みくにはプロジェクトにとってとても大きな存在であったことは間違いないだろう。ルックス、スタイル、歌唱力、リーダーシップなど、すべての点を総合すればメンバーでいちばんのポイントが高かったことはきっとだれも否定しないだろう。
 しかし、本体の人気がまだまだ上昇する要素を秘めた中での卒業は少しもったいなかったような気がする。それは確かにプロデュースする広瀬香美サイドの意向や、今後の楽曲及びアーティストとしてのイメージとプロジェクト本体のイメージに大きな相違があったからだと考えるのが妥当かも知れないが、一人のアーティストが異なる顔とイメージを持つことは決して珍しくないし、ファンサイドとしてはそういう下川みくにも見たかったような気がする。1stライブでの彼女の登場を期待している。
 この卒業の一件でプロジェクトの運営側が何を考えているのかを少し見ることができた。恐らくプロジェクトは「まず本体ありき」ではなく「チャンスがあれば確実に生かす」という方針なのだと思う。もし、それが否定されるのであれば、下川みくにがあまりにもチェキッ娘の成長レベルよりも高いところにいたからなのだろう。広瀬香美さいどには必ず彼女の実力を100%発揮させ、チェキッ娘本体の人気に負けないようなアーティストに育てていただきたい。

<その他の実力メンバーは?>

 ID:007上田愛美のケースを考えてみたい。彼女はチェキッ娘においては下川みくにより間違いなく活躍していた。第一段CMの抜擢からはじまり、フロントメンバー、NEOちゃっきり娘のリーダー格、ドラマではかなり難易度の高い役を与えられている。しかし、高校のこともあってか彼女は下川みくにと一緒に卒業はしなかった。もし、今後ソロデビューするようなことがあっても彼女の卒業はないような気がする。彼女はチェキッ娘の中で、最もチェキッ娘らしいチェキッ娘だと思うから・・・
 最近聞いた話だが、ID:012藤岡麻美が単独で雑誌の巻頭&グラビアを飾るそうである。余談にはなるが、最初、彼女と上田愛美の違いが見分けられずに困ったことがあった。2人とも同じような髪の長さであるし、もちろんカワイイし、目元のホクロだけが二人を見極めるポイントであった。今は一瞬で違いがわかるようになったが・・・
 また、7月からフジテレビ系アニメの主題歌を本体が新しいフロントメンバーで歌うことが決定した。今回のフロントメンバーは、ID020前後の4人。今まであまり脚光を浴びることのなかった、おニャン子B組的な存在でしかなかったバックメンバーを一気に大抜擢。うしろゆびさされ組のような動きがプロジェクト的に非常に嬉しい。
 これをきっかけに全国展開へと大きく歩を進めていただきたいものである。
 このような動きを総合してみると、プロジェクト全体が単なる「夕方のバカ騒ぎ番組」から個々の可能性を生かせる「オーディション・育成プロジェクト」の方向へと着実に向かっていることがうかがえる。

<新たなる展開へ>

 では、今、このプロジェクトは実際のところどのような位置にあるのだろうか。番組の開始から半年経って、オーディションはなくなった。その間に集まったメンバーは卒業した下川みくにを除いて19人。ファンとしてもプロジェクトの管理上も、この人数は臨海地点なのかも知れない。
 番組は一時期の乙女塾と同じく、平日夕方の5分間帯と土曜午後の1時間という構成になった。しかし、金曜日の夕方は30分の生放送を残した。マイナーチェンジのように見えて、質の転換も図ろうとしている意図がうかがえる。
 最初の半年間、私が第T期と呼ぶこの時期のDAIBAッテキの放送が2回だけ録画してあった。こんなことになるかも知れないと思って取っておいたのだが、当時1stのジャケット撮影寸前という時期から11月頃のものと思われるが、放送に出ているメンバーはID:010の久志麻理奈までしか確認できなかった。今の彼女たちと比べてまだテレビ慣れもしていないうえ、まだ個性のようなものを見ることはできなかった。
 半年経ってオーディションをやめたのはプロジェクト側の意向だったのか、局の番組編成城の不可抗力だったのか、それはわからない。しかしこの約20名のキャスティングは、まさにプロジェクトの思惑通りだったに違いない。「決して同じタイプを入れない」「決してカワイイ子や一般人気の高い子だけを合格させない」など、これは秋元康氏のおニャン子成功法則に間違いなく従ったキャスティングなのであろう。

<第U期は?>

 4月から始まってもう3ヶ月目を迎えた自称第U期をどう考えるか。それが今後のプロジェクトの行方を占うポイントとなるだろう。
 あのおニャン子にも3つの時期があった。スパンは1年−1年−半年の2年半、僕自身は第T期の終了時から関わったわけだが、第T期で河合その子と中島美春が卒業した。第U期はたくさんのソロデビューがあり、最も充実した安定期となった。第V期は様々な新しいことを試しつつ、結果的に人気衰退のスピードに歯止めがかからず、本体は解散となった。
 もし、このチェキッ娘プロジェクトにとって第U期が安定期になるとすれば、もう先は長くないだろう。関東地区限定アイドルグループ“チェキッ娘”は多少の一般的なアイドルを排出して終了。誰の記憶にも残らない、平成女学園、乙女塾の域を超えることのない普通の育成プロジェクトにしかならないだろう。最悪の場合、第V期はないかも知れない。
 しかし、決してこのプロジェクトを不完全燃焼のまま終わらせてはならない!!

<私ならどうするか>

 プロジェクトの運営側はどう考えているか知る由もないが、私ならこのようにしてみたいと考えている。
 まず第U期の半年間で多くのメンバーたちの実力をつけ、CM等を通じて、グラビアでも歌でもソロでもユニットでも、とにかく世に多く出していく。そして、それは来るべき第V期への布石になるのである。
 第V期はいよいよ全国展開である。第U期で人気をあげたメンバーは次々と卒業し、ソロで活躍していく。そして欠けたメンバーは新たにオーディション番組を復活させて全国ネットで輝けるダイヤの原石を選抜する。いよいよ社会現象になってきたチェキッ娘は、いよいよオリコンで堂々と1位を取り、メンバー及び卒業していった人たちのソロやユニットもその勢いに乗って毎週入れ替わりの1位を達成!華々しくプロジェクトが成功していくとともに、本体は突然の解散、惜しまれながらも彼女たちはそれぞれの道へと進んでいくのである。
 このシナリオでプロジェクト本体は1年半〜2年で終了することとなっている。どんなに成功しても、決してプロジェクトの衰退は見せない。ただ華々しく散っていくのである。そしてこのストーリーでは久志麻理奈も上田愛美も矢作美樹も藤岡麻美も・・・とにかくいちばん大変だったCX単独時代のメンバーたちは全国区の有名アイドルになるのである。そして第V期までのメンバーを合わせ、以後何世代に渡ってこのプロジェクトはおニャン子のように語り継がれていくだろう。

<エピローグ>

 “チェキッ娘”・・・このプロジェクトは決して永遠ではない。いつか必ず“終わり”が来る。僕たちファンはその“終わり”に常におびえながら彼女たちを応援し、見守って行かなくてはならない。そう、あれは13年前、その“終わり”が来ることも知らずに不完全燃焼のまま、解散コンサートにさえ行けなかった中学生の時の自分と同じ過ちを決して誰も繰り返してはならないのだ。
 だから、彼女たちが日々休む暇もないスケジュールのなかで、一生懸命に羽ばたいていこうとしている“今”を、私たちファンは全力で全力で応援して行かなくてはならない。
 僕たちファンは彼女たちの未来をどうすることもできないが、彼女たちのいる“今”を、すべてをかけて応援することなら他の誰よりもできるはずなのだから・・・

 最後のコンサートステージを見ている自分はきっと最前列に近いところにいるだろう。そして、アンコールの曲が終わったとき、彼女たちに向かってこんなことを叫んでいるだろう。
 「みんなありがとう!頑張れよ!ありがとう!」

 そして僕自身もきっとアイドルファンとしての青春時代を完全燃焼させることができるだろう。

 来るべき“第2のチェキッ娘”プロジェクトへのスタートとして・・・