さあもんさんとの出会い

 私がこのページを作ってから、何通かの感想が寄せられた。さあもんさんはいちばん早く感想を寄せてくださった方で、その縁でいろいろな意見交換や情報交換をさせていただいている。
 さあもんさんは図工で2をとったこともある私の味気ない文章だけのページを華やかに飾ってくださった。さあもんさんのイラストはネットでは有名で、私以外のページでも目にされた方は多いと思う。今回、そんなさあもんさんに無理をしてコメントをいただくことができた。
 コメントもイラストも半ば無理にお願いした感じがあったので、ついでに11.3のラストコンサートまで無理やり連れ出してしまったが(笑)、チェキッ娘のラストシーンを一緒に共有できて本当によかったと思っている。
 大きな夢に向かって頑張っているさあもんさんのライフステージにチェキッ娘がどのように関わってきたのか、じっくりお読みいただければと思う。


1・チェキとの出会い

 「1998年10月、DAIBAッテキ開始」
 当初ぼくはこの番組に対して何の期待も持っていなかった。
 95年の「うらりんギャル」で肩すかしを喰った経験があるからだ。
 ぼくは「猫」や「塾」といった番組をちゃんと見た事が無かったので、
 「渋谷系うらりんご」は開始当時からほとんど欠かす事無く見ていた。
 しかし番組は半年で終了、うらりんギャルもまったくブレイクせず、
 今残っているのは山口もえのみという散々たる結果となった。
   そんな経験上、初代チェキッ娘オーディションなどを見ていても、
 「どうせ半年後には消えるんだろうに・・・」という冷めた見方しか
 していなかった。今思えばこの時からもっとしっかりビデオに
 撮っておけば良かったと後悔している。

2・DAIBAッテキ時代

 初代チェキッ娘が決定し、翌週から本格的に番組がスタートした。
 最初の内はチェキの人数が少なかった為か、素人参加のコーナーが
 多かった様に思えた。しかし次第に人数が増えるにしたがって、
 チェキを全面に押し出すようになってきた。

 MP氏が「素人っぽさを売りにしたアイドルグループ」というだけあって
 ハッキリ言って毎日がドタバタだった。ドタバタギャグの毎日だった。
 テンポも悪く、やたらとパンチラが多く、いつも尻切れトンボ状態で
 終わるところなんか、まるで一昔前の深夜の生放送を見ているようだった。

そしてそんなDAIBAッテキがとても好きだった。
 
 なんか知らんけど面白かったのである。僕的には。
 素人の勢いとでもいうのだろうか。内容が軽薄でもそこそこ見れる番組に
 なっていったのである。若い娘達のあのにぎやかな雰囲気に、
 自分自身でも知らぬ間についつい魅せられてしまったのだろう。
 あと、これはぼくの気のせいかもしれないが、「つまらないな〜」と思った
 コーナーは、1、2週後にはすぐ別のコーナーに変わっていったように思う。
 ヘタに引っ張ろうとせず、躊躇せずにやめる時はやめるというのは
 見ていて気持ち良かった。まあ、ドロンズを最後まで使ったのには
 疑問があるが、それはギャラの問題もあって仕方なかったのかもしれない。
 なかなか安くて面白い芸人というのはいないのだろうから。

 大田祐歌が受かり、オーディションが一区切りしてから、3月の
 番組終了までの約2ヶ月間が、DAIBAッテキの絶頂期だったように
 思う。内容的にもとても充実していて、「これがチェキッ娘」というのを
 確立した時期だったのではないだろうか。番組当初は何回か
 見逃した時もあったが、この時期になるとタイマー録画にして
 欠かさず見るようになっていた。ヒマ潰し程度に見ていた番組が
 いつしか必見の番組になっていったのだ。

 しかし残念なことに、今思えばテレビで見るチェキッ娘はこの時が
 ピークだったのかもしれない・・・・。
  
3・DAIBAクシン時代

 下川みくにが卒業し、4月から19人で始まったDAIBAクシン。
 それまで月〜金で毎日30分の生放送を見ていた者にとっては
 少し淋しいプログラムではあったが、それでも見れなくなるよりは
 マシだった。しかしこれは意見の分かれる所かもしれない。
 事実、番組終了が確実となった時、各チェキ関連ページで
 「これなら3月の時点で終わりにしておくべきだった。」
 という意見をちらほら見かけた。
 
 確かに「ッテキ」に比べて「クシン」は見劣りしていた。これはもちろん  
 個人的な意見だが、「もっと楽しくできたんじゃないの?」という
 思いはある。GOLDはサブ司会が消えてドロンズだけになったが、
 ここは多少無理してでも、あと一人か二人司会がほしかった。
 「ッテキ」時代は日替わりサブ司会の役割が大きかったと思う。
 それからちぇきべぇに関しては、ドラマやる時間があったら
 19人全員が参加できるゲームコーナーの方が良かったのでは?と思う。
 GOLDとの色の違いを出したかったのかもしれないが、結果的に
 チェキの良さを殺してしまったように思えてならない。
 
 ぼくとしてはもっとハチャメチャに暴れるチェキが見たかった。
 ガングロ茶髪のコギャルとは違った、チェキならではの
 ティーンズパワーをもっともっと見たかった。
 しかし結局中途半端だった気がする。残念でならない・・・。
 ちなみに朝食コーナーは結構好きだった。
 もちろん娘によって当たり外れはあったが。
 
4・番組終了。

 これまで女性声優にハマった事はあったものの、いわゆる
 女性アイドルというものに対してこれほど熱くなったのは
 初めてだった。もちろん「おニャン子」にハマった人と比べたら
 比較にならないかもしれないし、そもそも「彼女らがアイドルなのか?」
 という意見もあるかもしれないが、それはそれとして、この一年は
 ぼくにとっていろんな意味で貴重な経験をさせていただいた。
 別に人生を変えられたというほどの存在では無いが、少なくとも
 数年後に振り返ったときに良い思い出にはなっていると思う。
 4月以降はいろいろ不満はあったものの、総括してみればやはり
 一年間チェキを見る事が出来て良かったというのが本音である。

5・ラストコンサート

 さてさて、番組は一生懸命見てきたぼくだが、今までチェキに関する
 イベントやら、番組観覧やら、夏のファーストライブには行ったことが無く、
 11・3のコンサートが生チェキを見る最初で最後(?)となった。
 
 普段の運動不足が祟った為に、夜の部の時にはヘトヘトになって
 いたのだが、まぁ良いコンサートだったのではないだろうか。
 個人的には全然ラストという感じが無く、数ヶ月後にはまた
 次のコンサートがあるような、そんな感じがしている。
 まだ実感が無いのだろう。ビデオが出て、それを繰り返し見ることで
 段々と終わったことを実感していくような気がする。

6・この先・・・
 
 さて、とりあえずプロジェクトなるものは全て終わった事になる。
 すでにCMやらバンドやらレギュラー出演やらで
 忙しい子達もいるが、当然これっきりという子もいるわけである。
 本人にやる気が無い場合、別の目標が見つかった場合、本人に
 やる気はあるけど事務所が見つからない場合、やる気もあって
 事務所もあるけど仕事が来ない場合などいろんなパターンが
 あると思うが、でもそれは仕方ないと考えるしかないだろう。
 あとは数年後になるべく多くの子が残ってくれるのを
 祈るのみである。

 万が一ものすごく売れた子が出たときに、
 「元・チェキッ娘」だったことを隠すような事はしないでほしい。
 いや、何も全面に押し出す事は無いが、聞かれたときには
 「そうですよ、元・チェキでしたよ。」と堂々と言ってほしい。
 チェキにいたことを過去の汚点と思われては、
 ファンとしてはやりきれない気持ちになってしまうので。
 まあ余計なお世話かもしれないが。


普段あまり掲示板やチャットに参加しないぼくが、こんな風に
チェキについて語ったのは初めてであるが、とりあえず一年を振り返って
感想を書くとこんな感じである。異論・反論もあると思うが、
一チェキファンのとりとめのない戯れ言と思って多目に見て頂きたい。

最後にチェキッ娘へ。

“一年間ご苦労様でした。
        楽しい思い出をありがとう。”



1999年 11月某日  さあもん


#ちなみにぼくが推していた子達をSDキャラ風に描いてみました。
  (まぁ、似てませんけどね)