“娘”と“娘。”


 モーニング娘。が9人になる!?

 たまたま見ていたASAYANでそのような発表があった。

 少し前に彼女たちにも興味があって、ストーリー本などを読んだこともあった。

 それによると、彼女たちは平家みちよの合格したオーディションの落選組の5人で結成されたユニットで、5万枚のCDを全国5カ所で完売させることをデビューの条件とされ、それを見事に達成してデビューを果たした。

 その後、3名が加わっての2ndシングル、3rdシングルではオリコン初登場1位、数々の新人賞獲得と紅白出場まで果たしている。人気メンバーの福田明日香が脱退したが、7人で5thシングルを出しこれもまたヒットしている。

 そこにまた2人を追加してさらなる競争意識と緊張感を生じさせ、ユニット全体の士気を高めようとしているのだ。これがつんく流のユニット・プロジェクトプロデュースである。

 モーニング娘。がこんなにヒットしたのだから、同じことをチェキッ娘でも・・・などということはいくら“チェキッ娘クラブ”結成を提唱する暴論者の私でも言わない。というか、“娘”と“娘。”を同じフィールドで考えようとすること自体がすごくナンセンスに思えるのだ。

 そもそも“娘”と“娘。”は持っている目的もフィールドも全く別物である。

 モーニング娘。はあくまで楽曲中心のプロジェクトであり、基本的にその部分での能力しか求められていない。とにかく、その部分での結果を出すため、徹底的に個人の実力を求められる、すごく厳しい世界にいる。横にいる人は常にライバル、安らぎの全くない世界で強く生き、歌い続ける彼女たちだからこそ、本物の楽曲が完成し、世にヒットしているのだと思う。

 しかしチェキッ娘の方は「どちらかというと弱いまとまりの中で、自由に個性を伸ばしながら、20名の集団パワーを利用しながら・・・」というコンセプトであり、そういうある種の仲良しクラブのような「適当さ」が、かえって私のようなリラックスを求める人にはうまくヒットしているのかも知れない。

 太陽とシスコムーンの場合もそうなのだが、つんくプロデュースのプロジェクトは楽曲にほとんどのウェートがおかれているためなのか、楽曲にはすごく興味を引かれるが、メンバーの個性とか、そういったものを知りたいという気には不思議とならない。

 それが、おニャン子クラブやチェキッ娘のような、近くにいくらでも良そうなタイプの娘の集まりだと、なぜかいろいろな娘のことをもっと知りたくなってしまうのである。

 残念ながら、昔、おニャン子クラブが流行った時とは時代が違うようで、“娘。”のヒットに対して、“娘”は不調であるが、私自身“娘。”はCD1枚で飽きてしまった反面、チェキッ娘にはなぜかすごくエキサイトしている。

 この年齢になって、こういう多角的な見方ができるのにも関わらず、私はそのマーケティング戦略に見事にはまって、ついにはドリームキャストまで買ってしまいそうである。

1999年7月1日 BATCH



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