チェキッ娘メンバーはHEY!HEY!HEY!の番組内で募集されたチェキッ娘100人オーディションからスタートをしている。この話は実のところ私が名古屋キャンペーンに行ったときの公開FM番組でNEOちゃっきり娘の3人から聞いたことである。
おそらくこの100人オーディションの最終選考に残った娘が1998年10月9日の番組内での第1回オーディションに臨んだものと思われる。
そして、そこで誕生したのが初代チェキッ娘(田中里奈、下川みくに、矢作美樹、新井利佳、五十嵐恵、熊切あさ美)の6人であり、同日は「チェキッ娘の誕生した日」と言われるようになった。
初代以降のチェキッ娘は、毎週6人ずつのオーディションにより順次決定していった。
下記の資料はオーディションナンバー順になっている。
1998年10月15日
上田愛美・小暮南・武田美絵・丸茂恵・森奈津子・吉岡恵理子
1998年10月23日
宇都宮一須子・大盛江美・田方聖子・増田桂子・町田恵・山口京子
1998年10月30日
朝倉孝子・市川美香・久志麻理奈・菅原美奈子・田崎順子・横野みゆき
1998年11月13日
飯塚茉理・小林久子・佐々木絵美子・原田千尋・宮崎菜美子・安田美代子
1998年11月19日
板垣千鶴・井上美佳・立田佳奈・藤岡麻美・柳瀬智子・渡辺典子
1998年11月27日
石川恵理・木村友子・嶋野蘭・高橋明日香・野崎恵・望月清美
1998年12月 4日
前田千晶・伊藤浩代・森知子・桜田麻里子・木村美里・嘉悦舞子
1998年12月11日
野々口恵・鈴木利恵・松本江里子・渡辺はるか・長谷川 彩・渡辺百合香
1998年12月18日 『チェキッ娘オーディションリベンジ』
市川美香・増田桂子・加藤真由・丸茂恵・柳瀬智子・渡辺はるか
1999年 1月 8日
寺沢のぞみ・桑原麻衣・鈴木和恵・外山恵梨・相良三恵・甲斐田聡美
1999年 1月15日
大谷麗利・石井亜樹子・岡安結実・小林裕美・松崎徳子・長田昌子
1999年 1月22日
吉澤見佳・佐野恵・大滝彩乃・太田康子・笠巻美和・真島那央子
1999年 1月29日
永川友里・大田祐歌・福地志穂・和智亜希子・吉本亜希・三浦英恵
ID:021大田祐歌の合格が決まった時点でオーディションは終了した。
ところで、チェキッ娘はID:008が欠番となっている。これは決してフジテレビが8チャンネルだからという訳ではない(これはシャレではなく、本当にそういうウワサが流れていたのである)。
ID:008は吉岡恵理子で、第2回オーディションにて上田愛美とともに合格した。そして2週間ほどテレビに出ていたものの突然降板となり、以後ID:008は公式の場においてタブーとなった。
この理由にはいくつかの説があるが、「吉岡本人が事務所に所属しているのを隠してオーディションを受けたため、合格後プロダクション側ともめ、降板・脱退という処理になった」というのがいちばん有力である。事務所に所属している娘のオーディション参加は認められていなかったようである。
ちなみに吉岡恵理子の顔を『チェキッ娘inDAIBAッテキ』の中に見ることができる。下川みくにがテーブルクロス引きをするシーンで、ドロンズの石本の顔が移っている映像の途中か直後だったと思う。
チェキッ娘はあらゆる段階においておニャン子クラブと比較された。
これはある意味仕方がないことで、おニャン子で財を築いた秋本康氏が仕掛け人であるし、おニャン子クラブ時代にADで教育係をしていた水口昌彦氏がプロデューサーをつとめているし、これだけの大集団が毎週オーディションで選ばれ、毎日のように生放送に出演し、本体で曲を出してしまうなど、状況がまったくおニャン子クラブと同じだったのである。
“第二のおニャン子”と呼ばれたチェキッ娘であったが、チェキッ娘本人たちはおニャン子クラブの記憶はほとんどないはずである。おニャン子クラブの解散が今から12年前であるから、この頃は彼女たちにとって4〜7歳である。
元おニャン子メンバー、会員番号4番の新田恵利はオリコンの対談記事でチェキッ娘のことを「おニャン子の後がまみたいなの」と表現している。また、おニャン子の熱狂的なファンだった人は、私とは違ってチェキッ娘を快く思っていないような話をよく聞く。
2年半のおニャン子クラブに対し、1年でチェキッ娘は終了。日本中をブームに巻き込んだおニャン子クラブに対し、関東ローカルの売れないアイドルで終わったチェキッ娘。
この両者を形が同じだからといって比較してしまうのはかわいそうなのかも知れない。
これと同じように同じ時代のアイドルということで比較対象にされるのは同じ「娘」という字を持つ“モーニング娘。”である。
旧式の素人アイドル集団にこだわったチェキッ娘と新型の本格精鋭アイドルユニットという戦略をとったモーニング娘。というコンセプトが全く違う両者も、一般からすれば女性アイドルグループというひとくくりにされてしまう悲しさがあった。
モーニング娘。は歌もうまいしダンスも上手い。というよりそんなレベルを超えて彼女たちはプロである。プロの世界は厳しい。これに対し、チェキッ娘は歌もダンスもメンバーによって上手い下手がある。上手いメンバーでもモーニング娘。のレベルに追いつけるかどうか・・・という程度である。
しかし、チェキッ娘の各メンバーにはモーニング娘。の各メンバーよりも多くの興味を持てた。それはきっと「素人の延長という感覚」や「ちょっと手を伸ばせば届きそうな感覚」などがあったからだろう。
やはり両者のコンセプトは大きく違っていたので、その片方にしか興味を持てない人は片方だけを熱狂的に応援し、また両方に興味が持てる人は両方を応援することを楽しんだと思う。
私自身は一時期モーニング娘。に興味を持った時期はあったが、チェキッ娘にはまって以来、モーニング娘。への興味は一切湧いてこなかったし、今後も彼女たちに本格的に興味を持つことはないだろう。
20人ものメンバーが集まれば、当然それぞれの思っていることは違うはずである。
放課後のクラブ活動的なノリで参加していた娘も当然いて良かったし、チェキッ娘のメンバーとして次々に起こる夢のようなできごとを夢見心地で過ごしていた娘もいただろう。そしてこのチェキッ娘をステップにしてもっと上に行きたいと頑張っていた娘もいたはずである。
こういったオープンのページには誰がアクセスするかわからない。何かの間違いでチェキッ娘を卒業したメンバーがこれを読むことがあるかも知れない。そのメンバーもしくはこの世界を夢見ている人、もしくは全く違う分野でもより高いところへ行きたいと考えている全員にお伝えしたい。
それは「大きなビジョンを持ってほしい」ということである。
ID:018の甲斐田聡美はことあるごとに「和田アキ子さんのようなビッグなタレントになりたい」という目標を繰り返し公言してきた。メンバーの中でもっとも高い目標を持っていた彼女は卒業後にTV番組のレギュラーを獲得し、現時点ではいちばんの活躍をしている。
答えはここにあるのではないかと思う。もし彼女が「テレビに出たい」というビジョンしか持っていなかったら、その目標はチェキッ娘に合格した時点、いやもしかするとオーディションに出た時点で達成され、今のレギュラー番組獲得という快挙には至らなかっただろう。夢は大きいほど可能性は高くなるのである。
チェキッ娘のメンバーに与えられた環境は冷静に振り返るとあまりに贅沢すぎたかも知れない。
テレビに毎日出られることはもちろん、Я・KプロデュースによるCDデビュー、ハワイでの写真集・ビデオ撮影、HEY!HEY!HEY!への出演、CM出演、1stライブ、地方キャンペーン、グアム旅行、卒業コンサート・・・普通に考えればたった1/6のオーディションに合格しただけの普通の女の子には常識では考えられない待遇だったと思う。
その環境の中で彼女たちは竜巻に巻かれるかのような毎日を過ごした。ファンに囲まれ、スタッフに囲まれ、メンバーに囲まれ、何かを冷静に考える時間もなかったかも知れない。
そしてプロジェクトが終わり、彼女たちに残ったものは果たして「1年間の淡い思い出」だけだったのだろうか?それは私には現時点ではわからないが、その答えはきっともう少ししたら出てくるのではないかと思う。
メンバーにとってチェキッ娘とは何だったのだろうか?
これは正直なところメンバーに聞いてみないとわからないのだが、少なくとも私が常日頃から比較対照にしてきたおニャン子クラブの時代とはまったく違っていると思う。当時のおニャン子クラブの面々は、特にタレント志望という娘ばかりではなかった。確かにたくさんの娘がデビューしていったが、卒業して普通の娘に戻った娘もたくさんいた。おニャン子クラブという名称の通り、彼女たちにとってはクラブ活動のようなものであって、それがたまたま世に出したら当たってしまったという感じだったのかも知れない。
チェキッ娘の場合、基本的にメンバーは全員タレント志望だったと思う。チェキッ娘の活動は放課後のクラブ活動というより仕事という感覚を持っていたように思う。だからなのか、逆に世に出してもこれが当たらなかった。
世の中、面白いものである。
さて、そのチェキッ娘メンバーたちは今後どうしていくのだろうか?
聞いたところによると普通の娘に戻るのは数名で、あとの娘は全員プロダクションに所属できたようである。
筆頭では大阪のテレビ番組でレギュラーを獲得した甲斐田聡美、スリーエフのCMに出ている4人(新井利佳、上田愛美、藤岡麻美、野崎恵)、まニャン子クラブというラジオ番組のキャンペーンガールから出たユニットでCDデビューする町田恵、年明けから大きな動きになるらしいと言われている矢作美樹など、すでに目に見えるところでの活動は始まっているようだ。
ラストステージを終えて半月がすでに経った。
もう「元チェキッ娘メンバー」という肩書きになってしまった20人は、プロジェクト完了という寂しさから抜け出し、それぞれの道で活躍を始めようとしている。チェキッ娘のステージがフジテレビという限られた枠であったのに対し、これからはその枠を超えてより大きな「芸能界」もしくは「一般社会」というステージに活躍の場を移すことになる。この半月で、ぼんやりとではあるがそのステージで活躍する元メンバーたちの姿が見えるようになってきた。これは私たちファンにとってうれしいことであり、もしかすると水口プロデューサーが描いていた卒業のイメージはこうだったのかも知れないとも思えるようになってきた。
メンバー時代、私たちに見えないところで辛い思いや悲しい思いをしていた人がきっといたと思う。しかし、もしそういうことがあったとしても、いつかきっとそれはいい思い出となっていると思う。
そして、その瞬間には間違いなく自分の決めたフィールドで活躍する自分自身の姿があるはずである。
でも、決して忘れないで欲しい。きっかけはすべてチェキッ娘にあったということ。そしてあとはチェキッ娘メンバーだったあなた次第だということを・・・
これからの活躍を期待しています。
1999年11月21日 BATCH
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