瞳を閉じて、瞼に浮かぶのは一面の赤。 その色は強烈で、闇よりもなお心を侵食していく色。 破壊の象徴、死の象徴、絶望の象徴・・・ 赤き炎。 パイオニア2の居住区間はさまざまだ。 フォースであるキュージュは、最新設備とは無縁のB級区域に与えられた 一室で目覚めを迎える。 寝起きのぼぅっとした頭で、狭い室内を見渡す。明かりはつけっぱなしに していた、部屋の中央のホログラフモニターの青みがかかった暗い光だけだ った。 「自室か・・・・」 褐色の肌に張り付いた前髪をうっとうしく感じながら、それ以上に気分を 害した夢のことを、頭から振り払おうとする。 「ち・・・ あんな化け物がいるとはな。おかげで、こんな夢を」 裸のままベットから立ち上がり、キュージュはそのままシャワールームへ と入っていく。 移民船パイオニア2が目的地ラグオルと目と鼻の先で、待機しなければな らない理由。移民の拠点となるはずだったセントラルドームの爆発から、す でに一週間が過ぎている。 その間に、キュージュは三度、ハンターズの調査員としてラグオルの地表 に降りている。そしてその都度、安全と報告されていたラグオルであからさ まな異常を目にしてきた。 「ドラゴンと呼ぶしかないな・・・」 降り注ぐシャワーに打たれながら、その中のひとつを思い出す。口から炎 を吐き出す、羽の生えた赤い鱗の巨大な爬虫類のことを、セントラルドーム 周辺の探索で出会った、キュージュにとって最悪の異常のことを。 それが幼き時に植え付けられた恐怖心を呼び起こしている。 キュージュが所属していた研究所は火災によってすべてが無に返された。 やっと物心がついた頃のある夜だった。だが、今でもはっきりと思い出せる。 業火がそこにいた大人達を、子供達を飲み込んでいった。赤い赤い炎がま るで生きているかのように。 いつのまにか水音に混じって小さな電子音が響いていた。その音で小刻み に震えていたことを自覚して、キュージュは気を持ち直すと、バスローブを 羽織って、電子音の元である、ホログラフモニターの空間仮想キーボードに 手を伸ばす。 「ソフィアです。いますかキュージュ?」 質の悪いホログラフモニターには『SOUND ONLY』の文字が踊っており、そ こから以前の調査で知り合った女性ハンターの声が響く。 「どうかしたか?」 これまた安物のソファに身を沈めて、タオルで濡れた髪をぬぐう。 「たいした用じゃないんだけど、気分転換に出てこない?」 「いや、おれは・・・」 誘いを断ろうと口を開いたのにあわせて、ソフィアが言葉を続ける。 「今、リリと買い物に来てるんだけど荷物が多くって、来てくれると助か るんだけど」 キュージュは苦笑いを浮かべる。荷物持ちというのは、自分が出かけるた めの理由を作ってくれただけだろう。ということは彼女に気を使わせたとい うことだ。 「わかった行こう。場所をメールしてくれ」 「ええ、すぐに。ついでだからみんなで食事でもしましょう」 キュージュはその言葉に、癖のある赤い髪を揺らして笑うソフィアを思い 浮かべて、たまには他人との食事もいいかと、一人笑った。
ショーウィンドウに青が映りこむ。 「んー。いまいち今日は髪型が決まってないなぁ」 二つに分けて後ろでくくった青い髪を手ぐしでといて、リリはショーウィン ドに向かって表情をくるくる変える。 「シャンプーとか変えてみたらー?」 リリに並んでお気に入りの帽子の位置を直しながら、あどけなさの残る笑顔 でミウが言う。 「でも、パイオニア2で手に入るシャンプーなんて、種類が知れてるし・・ って、あれ? いつのまに!?」 「えへへー なにしてんの?」 驚くリリにミウは相変わらずの笑顔でたずねる。 「あら? また一人増えたんだ。まあ、食事は多いほうが楽しいわね」 近くの端末で連絡をしていたソフィアが二人を見つけて笑う。 「やっほー。こんにちわー。お食事行くの?」 いつもの白いボディスーツに赤い髪のソフィアに飛びついて挨拶すると、ミウは 期待の眼差しで見つめる。 「連絡はとれた?」 遅れて近づいてきたリリが問うと、ソフィアはウィンクして見せる。 「キュージュは来てくれるわ。荷物持ちしてってお願いしたから、もう一人は 掴まらなかったから、メールだけしておいたけど」 「じゃあ、人数が足らなかったら、かっこいいお兄さんをナンパしましょう!」 こぶしを握り締めてリリは気合を入れている。そんな彼女の様子を面白そうに みて笑うソフィアに、ミウがたずねる。 「荷物持ちって? 荷物ないよ」 確かにその言葉通りソフィアもリリも荷物というほどのものは持っていないよ うだった。 「あら、荷物ならできたわよーーー」 リリが面白そうな意地悪そうな笑みを浮かべる。 「お子様が一人増えたからねーー」 リリはソフィアの額をつんとしなやかな指先でつつく。見る見るほほを膨らま せて「違うもん!」と主張するミウ。
黒・・・ 黒は闇ではなく黒である。 闇は恐怖と共に在る。だが黒はただ黒でしかない。 黒を切り裂いて一対のフォトンの刃が踊る。揃い、離れ、規則的に、無軌道に、 黒の中で光が踊る。 広いのか、狭いのかそれすらわからない空間で、ただ光の刃は舞い踊る。わず かに、金属のこすれる音が響く、人の呼吸音が響く。 (闇は闇ではない・・・ ただの黒でしかない) ハンゾーは心中でつぶやくとゆっくりと両の腕の力を抜く。 黒の中で、同じく黒の鉄仮面をはずし荒くなった呼吸を整える。 黒の中で薄く緑の光がともる。続いて機械的な音声が続く。 「指定アドレスにメールが来ています。転送を開始・・・ 完了しました。送 信者ソフィアとなっております」 音声は途切れ、後にはホログラフモニターの明かりだけが残る。 「以前の依頼で一緒になった女か・・・」 記憶を手繰ってその名を思い出すと、ハンゾーは内容を確認する。 苦笑いがもれる。内容は依頼や仕事の類ではなく食事への誘いだった。 「どうしたものか」 少し腕組みして考えるとハンゾーは未だその手に武器を握ったままであること に気づく。 また苦笑する。 「行くべきかもしれんな。気持ちの切り替えは必要だろう」 全身を覆う特殊金属のスーツを、一つ一つはずすと、しなやかで引き絞られた 筋肉がアンダースーツごしにでもわかる。 「さて何か良い着替えがあったかどうか・・・」 ハンゾーは一人ごちてホログラフモニターを消した。 あたりは、また黒へと戻る。