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 Drunk night

「と、いうわけで、今回の依頼は完遂することが、出来ませんでした〜。
でも、お優しい依頼主様が、依頼の継続を約束してくださったので、
わたくし、大感激でありま〜す」
 立ち上がり身振り手振りを交えながら喋った後、大仰に敬礼までして見せるイル。
 アルコールが回ったのか、白い肌が上気し、頬がほんのり赤みがかっている。
その身に纏った衣装と合わせて、端から見れば道化師のようでもあった。
「堅い話は抜きにしようや。せっかくの酒の席なんだからさ。
それに俺は、今回が全くの失敗だったとは思っちゃいないぜ」
 立ち上がったままのイルを座らせ、空になったグラスに継ぎ足しすすめながらゼファは言った。
「手がかりは掴んだし、無事の確認も取れた。それだけでも大収穫てなもんだろ。
それに、こんな優秀な・・・」
言いかけゼファは腕を組み、首を傾げる。
「優秀なのか?」
その視線の先には、満たされたばかりのグラスをほぼ空にしつつあるイルがいた。
「あら、ひっど〜い」
「そうですよゼファさん。先輩は優秀です」
 言われた本人よりも真面目に抗議したのはスイであった。
その顔にいまだ少女の面影を残し、その衣装と物腰の為かどこか清楚な印象を受ける。
 こちらも少しアルコールが入っているのだろう。
頬に赤みがさしている。にこやかな笑顔から先ほどの抗議も、
別段憤慨からのものでないことが見て取れる。
「そうですね。非凡なことは認めます」
 そう冷静に返したのは、白いボディカラーのアンドロイド、chance.8.(通称エイト)であった。
「まあ、その優秀な探偵にも出会えたんだしな。よろしく頼むぜ。探偵さん」
 みんなに抗議され少しバツが悪いのか、その青い短髪を逆立てた頭を掻きながら、
ゼファは右手のグラスをイルに向ける。
「うふ、こちらこそ」
 イルもグラスを向け、チンと合わせて笑顔で返したなら、優秀な女探偵というイメージも
保てたであろうが、
「おっまかせくださ〜い!!」
再び急に立ち上がり、敬礼をする。
 勢いテーブルまで揺らしてしまったおかげで、グラスや皿が暴れ回ってしまった。
それを慌てて抑えるスイ、エイト、ゼファ。周りの客の失笑をかうというオマケ付。
これでは、ただの酔っ払いである。
「せんぱ〜い」
「お願いしますよ」
「おいおい」
 3人と周囲の客の非難の視線を浴びながら、
「すいませ〜ん」
ゆっくりと席に付く。
 女探偵イル=ランポード。24歳。独身。
 パイオニア2の夜はまだ始まったばかり。


「ねぇねぇ、ゼファ。あなたレンジャーよね?」
 先ほどとは一転、しなをつくるように上目使いにゼファを見つめるイル。
「ああ、見てのとおりのレンジャーだ」
女という生き物はいろんな表情を見せるもんだな。と感心しながらゼファは答えた。
「じゃぁ、もちろん銃には自信があって?」
 今度は少し挑発気味に聞いてくる。
 見ていて飽きないやつだ、と苦笑交じりに言を次ぐ。
「おいおい、馬鹿にしてもらっちゃ困るな。銃に関しちゃ扱いから手入れまで、お手のもんさ」
「そう、よかった〜」
 ポンっと両の手を合わせ笑顔になる。
 百面相だな、こりゃ。
 思わず吹き出しそうになるのを堪えるゼファに気づいたのかどうかは知らないが、
イルはテーブルに少しのスペースを開け、おもむろに普段自分が愛用しているハンドガンを置いた。
「酒場に銃は似合い過ぎだろう」
 いきなり出されたハンドガンにゼファはまたも苦笑する。
「真面目に聞いてよ〜」
 少し頬を膨らませ、抗議気味の視線を送る。その表情にたまらず吹き出してしまったゼファ。
「プッ、クク・・・スマンスマン。で、そのハンドガンがどうしたんだ?」
「もう。で、これね。昔から愛着があって、ちょこちょこ手入れしながら使ってる
物なんだけど、最近ちょっと精度が落ちてきてるみたいなの。それで、
プロのアドバイスが聞きたいな、と思ってね」
 銃好きだからか、アルコールのせいなのかじょう舌になってきたイルを見ながらゼファは思った。
(しかし酒好きに銃好きときたか。まったく・・)
苦笑するしかない。と言った表情でハンドガンを手に取る。
「なるほど。どれどれ」

 そんな二人を見ながらスイは嬉しそうにグラスに口をつける。
先ほどからあまりその中身は減ってはいない。どうやら酒は好きではないようだ。
「やっぱりお似合いですね。あの二人」
 そんなスイの様子に気づいたのか、小声でエイトが話しかける。
「そうですよね。ねぇ、エイトさん。私たち邪魔しちゃ悪いと思いません?」
 話しかけられスイは、イタズラを思い付いた子供の様な無邪気な笑顔で
エイトに問い返す。
「なるほど」
 その問いの意味を瞬時に理解したエイトは、静かにうなずいた。
「気づかれないように。そ〜っといきましょ」
「了解」
 お互い必要以上に声のトーンを落とし確認しあうと、ゆっくりと椅子を引き始める。
 どうやら、いい雰囲気になっているゼファとイルを二人きりにしようと
企んでいるらしい。
 小柄なスイならば、二人に気づかれずに席を離れることも出来ようが、
レイキャストであるエイトにそれが可能であろうか。
 なんとか音を立てず、椅子を引き終え、いざ立ち上がる段になってそれは起こった。
「あ!!」
 静かにゆっくりと立ち上がろうとしたばかりに、
スイは、自らその長いスカートの裾を爪先の下に敷いてしまっていることに
気がつかなった。
 むろん、思ったとおりに脚が伸ばせる訳もなく、
そのまま前のめりに倒れそうになる。
「スイ、大丈夫ですか?」
 テーブルにつっぷしかけるスイを寸でで抱き止める太い腕。エイトである。
 その身体からは想像出来ない素早さである。が。
 代償は派手な音を立てて転がる椅子。
 ドンガラガッシャーン!!
「大丈夫か?」
「どうしたの?大丈夫?」
 その音とつっぷし掛けているスイに気づき、駆け寄るゼファとイル。
「まさか、逃げるつもりだったんじゃないでしょうねぇ」
 スイの顔をのぞき込み、ハハァ〜ンとばかりにニヤリと笑うイル。
「先輩、お酒臭いですぅ」
 どうやら目論見はばれていないらしいことに安堵しながら、
スイは苦笑いと共にそう答えた。
「当たり前でしょ、酔ってるんだから。とにかく、今日は最後まで逃がさないわよ〜」
「あ、あははは・・・・」
 まさか二人きりにするつもりだったとは言えず、笑って誤魔化すしかないスイであった。


「相変わらず、賑やかなことだねぇ」
 そう声を掛けて来たのはこの店”BAR居酒屋”のマスターであった。
その風貌から常連客には「おやじ」と呼ばれ親しまれている。
「賑やかな方が店に活気があっていいだろう?」
ゼファはアゴ髭に手をやりながら、悪びれる様子も無く笑う。
「ゼファのダンナにゃかなわんな。ほれ、お待ちどうさん」
 トンっと置かれるなんとも美味しそうな香りの皿が数枚。
「あら、いいにおいですね」
 椅子を直しながら言うスイに、
「ス、スイ!あれは何でしょうか」
誰よりも早く反応し、何やら飛拍子も無いことを言ったのはエイトであった。
どうやら、その皿からスイの注意を逸らしたがっているようだ。
「え?何ですかエイトさん」
 呼ばれればそちらの方を向いてしまうのが、人間心理というもの。
ご他聞に洩れずスイもエイトの方を向く。
これで一時的とは言え、スイの注意を逸らすことが出来たわけだが、
不幸なことにエイトの後ろにイルがいた。
「ん、これも結構イケるじゃない。スイもどう?」
 そう言って差し出した手に持っていたのは、噂の”ラッピー焼き”。
スライディング姿勢のまま串刺しにされ、程良く焼かれたタレのかかったその姿は
美味しそうでもあり、妙にラブリィでもあった。
 しかし、ラッピー好きの者にとってはかなり衝撃的であるだろうことは想像に難くない。
「イ、イル!?」
 思わず立ち上がってしまうエイト。
 元来アンドロイドには表情という物は無い。
だがこの時エイトの顔には明らかに「しまった」と書いてあるのが読み取れた。
 ガタン。
 再び椅子の倒れる音がする。
 そこには立ち上がっているスイの姿。心無し顔が青ざめて見える。
「ひ、ひどい・・・。エイトさんなんて、エイトさんなんて、大ッキライ!!」
 言うなり走り出すスイ。
「先輩もゼファさんも大キライ〜!!」
 そのままの勢いで店を飛び出してしまった。
「ちょっとスイ。私行ってくるね」
 そう言うと、飛び出して行ったスイを追いかけ、イルも店を出ていく。
「ああ分かった。俺たちもすぐに・・・、いや、後から行くわ」
 イルに続いてスイを追いかけようとしたゼファであったが、
傍らのエイトを見て立ち止まる。
 エイトは先ほど立ち上がったままの姿勢で止まっていた。
いや、固まっていたと言った方がいいだろう。
「大ッキライ!!大ッキライ!!大ッキライ!!」
 リフレインする言葉。
(私はスイを傷つけてしまった・・・)
 エイトの意識は薄れかけていた。薄れ行くその意識の中でもう一度繰り返す。
(ワタシハスイヲキズツケテシマッタ・・・)
『システムダウン。サブシステムニ移行。メインシステム復旧開始・・・。
エラー。再復旧開始・・・エラー』
 固まったままエイトの口から機械的に繰り返されるその言葉は、
明らかに異常を知らせるものであった。
「やれやれ」
 ため息をつきながらゼファはつぶやく。
「命張ってるハンターズが女の一言くらいでまいってどうするよ。まったく・・・」
 スーっと息を吸い込むと、ゼファは声を張り上げた。
「chance.8.!!男が女を守れんでどうする!!酔った女を夜の
シティに独りにさせておく気か!!そんな奴を部下に持った覚えは無いぞ!!
しっかりしろ!!」
 ゼファの張り上げたその怒鳴り声は、聞く者の姿勢を正し直立不動にしてしまうほど、
威厳と貫禄に満ちていた。
「了解!!」
 背筋を伸ばしビシっと敬礼するエイト。
「はっ、私は・・・」
 正気を取り戻したエイトを確認すると、ゼファは片頬を緩め、
店の扉に向かってきびすを返す。
「何をぼさっとしている。行くぞ」
「はい!!了解しました隊長!!」

 二人が出ていった後もまだ数名が直立不動のままだったりする。
「俺たちもこんそんなとこでくだまいてる場合じゃないよ」
「そうだ、仕事するぞ」
 口々にそんな事を言いながら、店を出ていく客たち。
その様子を見ながら頷く「おやじ」。
「うん「、ん。いつもながらイイ男っぷりだねぇ、ゼファのダンナは〜。
しかし、あれをやられた後は、いつも閑古鳥なんだけどね」
 ”BAR居酒屋”とっても静かで落ち着けるお店・・・。

 ふぅ、ふぅ、はぁ、はぁ。
 息を切らせて走る女がいる。
 イル=ランポード。24歳。
「く〜、運動不足だわ。それにしても、おっとりし
てるけど、相変わらずの、足の速さねぇ」
 追う対象は、スイーアンジェ。20歳。
 ヒトという物は20歳を越えると1歳の違いだけでも大きいようで、
4歳違いともなると・・・。
「うっさいな〜!!スイも私も四捨五入すればおんなじなんだから」
 はぁ、そういう考えもあるんですか?
「そうよ!!って、誰と話してんだろ?私。あ、やっと追い付いた。
はぁ、はぁ、スイ待って。話しを聞いて」
 息を整えながらスイに近づくイル。
「いやです!!来ないで下さい!!」
 先ほどの”ラッピー焼き”が相当ショックだったのだろう。
その翡翠色の瞳を潤ませながら、スイは左手を突き出した。
 その掌から、氷の結晶が扇状になってイルに向かう。
 スイは殺生を好まない。それはかつて彼女が聖職者であったからだけではなく、
元来争いを好む性格ではないからだ。
 しかし、ハンターズとなり今のラグオルに降りる以上、
自らに迫り来る危険を排除する手段は必要である。
 だからこそスイは、バータ系テクニックの修得に励んだ。
バータ系テクニックは中級以上になると、対象を凍らせる効果を現す。
 凍らせることにより、その間に離脱することも出来れば、
対象を捕獲することも可能となろう。何より無用な殺生をしなくて済む。
そう考えたからこその選択である。
 そのおかげか、スイは今ではかなりの使い手になっていた。
そのことは、先輩であるイルもよく知ってる。
(やばい、ギバータだ。今凍らされる訳にはいかないわ。しかたない)
 イルも左手をかざす。
 するとイルを中心に炎が渦を巻き広がり始めた。
 氷に対抗する為に炎を選んだのは賢明だろう。顔前に迫る氷波を炎壁が
受け止めたのだから。
 しかし、力というものは同レベルであればこそ、相殺しあうもの。
一方が強ければ一方が負けるのは理の当然。
「そ、そんな・・・」
 イルは己のが目を疑った。
 炎が消化されていくのは理解できる。やはりレベルの差があらわれたのであろう。
だが、炎が凍り付くなんて現象が本当に起きるのだろうか。
「このままじゃ・・・」
 集中し精神力を高めるイル。炎壁がその威力を盛り返す。
 それに答えるようにスイの氷波も勢いを増す。
 テクニックの勝負は精神力のぶつかり合いでもある。
集中力が途切れた方が負けなのだ。
 とはいえ、すでに当初の目的を忘れているような気がするのだが・・・。

 どれくらいの時間が立ったのだろう。
あるいは、ほんの数分の出来事だったのかも知れない。
 そこには座り込む二人のフォースの姿があった。
「あれ?先輩どうしてそんな面白い姿に?」
 スイはまるで今気が付いたような素振りで、目の前で肩で息をしながら
座り込むイルに聞いた。
「はぁ、はぁ、さあ、どうしてかしらねぇ」
 左半身を霜だらけの格好でイルは苦笑いする。
「あ、そうだ。私お店を飛び出して〜・・・。え〜と、ああ!!
”ラッピー焼き”!!ひどいですよ先輩、ラッピーちゃんをあんな・・・」
 両の拳を胸の前で握り締め、イヤイヤするように
首を振りイルに抗議するスイ。
 それを遮るように右手をピっとスイの目の前に立てるイル。
「ちょっと待って。あれはね」
「本物じゃ無いんだ」
 二人の会話に割って入った男の声。
 その手に話題の中心である”ラッピー焼き”の串を持ったゼファであった。
「ああ!!それ!!」
 震える指で”ラッピー焼き”を指さすスイ。
「そ、”BAR居酒屋”の人気メニュー”ラッピー焼き”。
材料は俺たちがいつも口にしている合成食料さ。
ラッピーの肉なんて一切使われてちゃあいないんだ」
 串を振りながら言うゼファに、いぶかしげにスイは訪ねた。
「それじゃぁ、本物のラッピーではないんですね」
「ああ、さっきも言ったとおり本物じゃ無い。合成食料をラッピー型にして串焼きにした物さ」
「でも、どうしてラッピーの形にするんですか?可哀相じゃないですか」
 いまいち納得いかない面持ちで、なおもゼファに食い下がるスイ。
「まぁ、スイにとっては可哀相かも知れん。しかしな、他のハンターズ連中も皆そうかと言うと、
必ずしもそうとは言えんのだな。これが」
 ゼファが言うにはこうである。
 ラグオルに棲む原生生物のほとんどが凶暴化している現状にあって、
可愛らしい外見を持つラッピーも例外では無い。 
その外見に似合わず彼らのくちばしは鋭く、それによる攻撃は侮り難いものがある。
 実際、その可愛らしい姿に油断し手痛い反撃を受けたハンターズも少なく無い程なのだ。
それ故、ハンターズの中には、ラッピーに対して良い感情を持たない者も多い。
 そんなハンターズに受けの良いメニューとして考えられたのが、
”ラッピー焼き”なのだという。
「そういうこと。ま、スイの気持ちも考えずに悪ふざけし過ぎた私達がいけないんだけどね。
ごめんねスイ」
 ゼファの説明を一緒になって聞いていたイルは、スイに頭を下げた。
 ゼファの話を聞いている間に気持ちも落ち着いたのだろう、
自分の取った行動をかえりみてだろうか頬を少し赤らめ、胸の前で両手を小さく振った後、
スイも二人に頭を下げた。
「そんな、私の方こそ取り乱してしまってすみませんでした」
 すまなさそうに謝るスイに、自分の後ろに立つ人影を右手親指で指さしながらゼファは言った。
「俺達に謝る必要は無いさ。もし謝るっていうんなら、アイツにお願いするよ」
「エイトさん」
 その人影を認めるや、スイは駆け寄って行く。その先には、なんとなくバツの悪そうに
立っているエイトの姿があった。
 その後ろ姿を見送りながらゼファが声を掛ける。
「俺たちはこれから呑み直しに行くが、二人はどうする?」
「あ、私は遠慮します」
 丁度エイトの側まで来たスイは、振り返りながらゼファに答えた。
「私もスイを家まで送って行きますので」
「そうか」
 二人の返答を聞いて、満足そうな笑みを浮かべながらゼファは頷く。
「しっかり送ってやるんだぞ、エイト」


 やや薄暗い路地。
 ここは、シティと居住区画を繋ぐ連絡ブロック。
昼間ならば人の往来も多く賑やかな場所であるが、夜も深くなると人影もまばらである。
 そこに二人並んで帰路に着くスイとエイトの姿があった。
「エイトさん、ごめんなさい。私取り乱しちゃってなんだかエイトさんにヒドイ事を
言っちゃったみたいで」
 ”BAR居酒屋”でのことを気にしてであろう、スイはややうつむき加減にそう言った。
「いいえ、いいんですよ。私の方こそ、あの二人の悪ふざせを止めることが出来ず。
スイ、気を悪くされたでしょう?」
「エイトさん優しいんですね。エイトさんの優しいところ、私好きですよ」
 一見無表情に見えるエイトの顔に、やわらかな笑みを見て取ったのか、
天使のような微笑みを返すスイ。
「え?」
 この時、白いはずのエイトのボディカラーが赤くなったように見えたのは、
気のせいであろうか。
「わ、私も・・・」
「あら」
 言いかけたエイトの傍らで、何かを見つけたのかスイはその場にしゃがみ込む。
 見ると路地の影から小犬が一匹、顔を覗かせていた。
まるで二人の様子を伺っているように見える。
「可愛らしい小犬。おいで〜」
 人見知りしているのだろうか、小犬はその場で少し後込みをする。
「ほら、おいで」
 優しく諭すように小犬に話しかけるスイ。安心したのだろう。
小犬はゆっくりとスイの元へとやって来る。
クンクンと鼻を鳴らしながらにおいを嗅ぐとスイの指をペロリとなめた。
「あは、くすぐったい」
 何度もスイの指をなめる小犬を見て、エイトはおもむろにその大きな手を
小犬の前に差し出した。
 突然差し出されたその大きな手に驚いたのか、小
犬は上体をかがめ警戒する様な姿勢を取る。
 やがて危険が無いことを悟ったのか、それともその掌の上にある物に気づいたのか、
小犬は足早にエイトの手に近づいた。
 エイトの掌には細かくちぎられたモノメイトが乗せられていたのだ。
「やはりお腹を空かせていたのですね」
 懸命にモノメイトにかぶりつく小犬を見ながらエイトは言った。
「さすがですねエイトさん」
 心底感心したようにスイは言った。
「それにしてもほんとに可愛いですぅ。一生懸命食べてるところなんか、
もう、スリスリしちゃいたいくらい。ああ、我慢できない。連れて帰っちゃおうかなぁ」
 スイの言うとおり、一心不乱にモノメイトにかぶりつくその姿は、
可愛らしい以外形容し難い程であった。ラッピーを持ち帰ろうとまでした、
可愛い物好きのスイを刺激するのも当然である。
「スイいけませんよ。この小犬、首輪をしている所を見ると飼い犬なんでしょう。
飼い主の下に帰してあげなくてわ」
「あ、ほんとですね。残念だなぁ」
 まだ食べ足りないのか、エイトの掌をペロペロとなめ続けている小犬を、
名残惜しげに抱きかかえながら心底残念そうにスイは呟いた。
「あれ?この首輪、何か書いてある・・・P、O、後はちょっと読めないなぁ」
 確かにその小犬の首輪にはプレートが付いておりそこには文字が刻まれていた。
しかし、スイが読み取れたのは、PとOの2文字だけであった。
他の文字はプレートが擦れてしまったのだろうか、つぶれて読むことが出来なくなっていた。
「ちょっといいですか?」
 そう言いながら、エイトはスイから小犬を預かると首輪のプレートを見据える。
アイカメラから取り込まれたプレートの映像は即座に解析され、つぶれた文字の正体を導き出す。
「C、H、Iと読めますね」
「P、O、C、H、I・・・ポチ。う〜ん、あ!!ねぇエイトさん、
この子なんだか青っぽく見えません?」
 エイトの答えを聞くとスイはしばらく考えこんだ後、ポンと手を叩きそう言った。
「確かに含有率として青色素を認めないわけでは無いですが」
 エイトの何とも固い返答に、パっと瞳を輝かせるスイ。
「ですよね!!きっとこの子が先輩の探してたポチなんだわ。
明日にでも先輩の所へ確かめに行かなくちゃ」
 ポチ。今日の依頼中にイルが言っていた、彼女が調査中のもう一つの依頼である
家出中の犬探し。その犬の名がポチと言うのだそうだ。特徴は室内犬で毛色は青。
 確かにこの小犬はその条件を満たしていると言えなくもないのだが。
「それまでこの子は〜、どうしましょう?」
 すでにある答えを期待しているのは日をみるより明らかな程、
その瞳を輝かせながらスイはエイトに聞く。
その姿はさながらおねだりする子供のようであった。
「解りました。スイに面倒を見てもらいましょう」
 仕方がない。ここまでくれば承諾するより道がないのである。
「わ〜い!!やっぱりエイトさんやさしい!!今日は一緒に寝ようね〜、
ポチ。大好きよ〜」
 両腕を伸ばし小犬を高々と掲げながら、うれしそうにクルリとその場で一回転する。
 自分の中に広がっていくあたたかな物、何とも言えないその正体不明の感覚に
少しとまいどいながら、エイトは嬉々として小犬とダンスするスイの姿を見つめていた。
「どうかしました?エイトさん」
「いえ、別に」
 つとめて平静に答えるエイト。こんな時レイキャストであることを感謝する。
何故ならキャストに表情という物は無いから。
 かつて、ヒトの持つ感情というモノに憧れを抱いたレイキャストは、
今、ヒト以上にヒトらしくなっているのかもしれない。


 3万人もの人口を乗せ母性より飛び立った大型移民船「パイオニア2」。
本格的な移民船として建造されたこの宇宙船はその目的から、
より多くの人員を搭乗させられるように設計されている。
 だからといって、居住スペースのみを確保した作りになっていると言う訳ではない。
その想定される航行距離から、ヒトビトのストレス解消の為の設備も多く設けられている。
 シティと居住区画の間にある公園もその一つ。
 その公園の中を二人の男女が肩を並べて歩いていた。
 一人は長身でやや物々しい装備に身を包んだ顎髭の男。
もう一人は、一見道化師のように見える少し奇抜な衣装の眼鏡の女。
「でも、さすがにあのことは言えなかったわね」
 と女の方が口を開く。
「ああ、味の方は本物に近く作ってあるなんてな」
 ニヤリと笑いながら答える男。
「けっこうイケる味だったわ、アレ。今度から本物を見かけたらよだれが出ちゃうかも」
 男の顔を見上げながら女はクスリと笑った。
「はは、ありえるな」
 そう言いながら男も女の顔を見つめた。
 立ち止まる二人。ちょうど公園の中ほど、噴水の設置されている辺り。
 しばしの時間が流れ、それまで控えめに照らされいた噴水が、
その吹き出す勢いを増したと同時に一段とライトアップされる。
 そして重なる二つのシルエット。
 辺りを支配していた水音が納まったころ、そこに立っていた影は無く、
あるのはうずくまる者とその背をさする者の姿のみ。
「大丈夫かぁ」
 その背中をさすってやりながらゼファは言った。
「う、うん、もう大丈夫」
 咳き込みながらその目にまだ涙を溜めつつイルは答える。
「おっかしいなぁ。そんなにお酒に弱いつもりは無いんだけど。
やっぱりお酒呑んですぐに走ったり、テク使ったりしたのがまずかったのかしら」
「そうかもしれんな。どのみち今日はお開きにしたほうがいいな」
「ええ!?夜はまだまだじゃない。私もう大丈夫だからもう一軒行きましょうよぉ」
 まるで駄駄をこねる子供のようなイルの様子に、
頭を掻きながら呆れ気味にゼファは言う。
「あのなぁ、いくら俺が酒を人に奨めるタチだからって酔っ払って吐いちまってる相手に
呑ませる程の性悪じゃないぜ」
「私まだ酔ってなんかないわよ」
 そう抗議しながらイルは立ち上がった。
が、すぐによろめく。
「言わんこっちゃ無い。足にきてるじゃないか」
 ふらつくイルの身体を片手で抱き止めるゼファ。
「ちょっと立ちくらみしただけよ。まっすぐにだって歩けるわ」
 言いながら歩き始めるイルだが、言ったそばから蛇行している。
しかもしばらくすると、またよろけていたりするのだから始末が悪い。
 ため息を付きながらイルの側まで行き、ゼファは背中を見せながらその場にしゃがむ。
「酔っ払いほど酔ってないって言うもんなんだよ。ほら、送ってやるよ」
「ええ!!おぶるっていうのぉ!?や、やめてよぉ子供じゃないんだから」
 顔を赤らめながら派手に驚いてみせるイル。賑やか過ぎる事この上無しである。
「まともに歩けもしないくせに何恥ずかしがってやがる。いいから乗れ」
 言いながら、いまだ振ら付きながらも嫌がるイルをゼファは無理矢理背中におぶる。
「ちょ、ちょっと!?降ろしてよ、恥ずかしいじゃない」
 いきなりの実力行使にゼファの背中でジタバタと暴れるイル。
ポカポカとゼファの後頭部を叩きながら抗議する。
「ほんとに恥ずかしいなら暴れんことだ。かえって目立つだけだからな」
 イルの抗議もどこ吹く風と、歩き出すゼファ。
 ゼファの言うとおり、夜更けとは言え人の目が無い訳では無い。
「わかったわよ」
 口を尖らせながらしぶしぶ大人しくするイル。
(ゼファの背中、おっきくてあったかい)
 ふと、おぶられながらそんな事を考える。
「ずいぶん大人しくなったじゃないか」
 しばらくおぶられるままになっているイルに茶かすようにゼファは声を掛けた。
「ヒトにおぶられるのなんて何年ぶりかなぁ、って思ってただけよ」
 急に掛けられた声に顔を真っ赤にしながらかぶりを振るイル。
答える声が少々うわずってしまっている。
「俺も誰かをおぶったのはアイツ以来かもしれん」
 そう言うゼファの横顔は少し寂しげに見える。
 しばしの沈黙が流れる。
「なぁに黄昏てんのよ」
 言いながらイルはゼファの頭をポカリと叩く。
「このパイオニア2いちの、いえ、ラグオルいちの名探偵イル=ランポードが
必ず捜し出してあげるわよ」
 胸を張りながらイルは言う。
「ああ、そうだった。よろしく頼むぜ、名探偵!」
 ヒトにおぶられながら胸を張る、ちょっと滑稽な背中の迷探偵に声を掛ける。
「まっかせてよ!!大船に乗った気で安心していいからね!」
「背中におぶれるくらいの大船にか」
 苦笑しながらそう返すゼファ。
「もう!!大丈夫だから降ろしてよ」
 言われて顔を真っ赤にするイル。またまたゼファの背中で暴れ出す。
「やだね。降ろしてやらん」
「もう!!」
 言い合う二人の声がすっかり寝静まった居住区画に響く。
 更け行くパイオニア2の夜の出来事である。


 END



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