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    やっぱり猫が好き


             つまるところ、よくわからんのである。
          何と言われようが、正直な話だから仕方がない。

          できることといえば、せいぜい無関心でいることだけ。
           関係がなければ、他のことに頭を悩ます必要もない。
             言ってみれば、どーでも良いのである。

               とくに、猫にとっては。

                猫による事態の考察 その1

「きゃあああっ!!」  硬質の、爪が変化したと思われるカマが振り下ろされる。たいていの衝撃を吸収して
しまう対衝撃ボディスーツが、あまり役に立ったとも思えず、軽々と彼女はふっとばさ れる。
 トーロウ。誰が呼んだのか、この異形の生物はいつしかそんな名前がつけられていた。
カマキリを思わせるボディラインを夕闇が包み込む。煌煌と光る赤を背に受けたその姿は、
彼女には死神に見えるのだろうか。
「う・・・あ・・・・・・」
 呻き。
つぶれた肺をどうにか動かした結果。
目前に迫るトーロウがそれを聞き入れたどうかは定かではない。
ただ、起こったことといえば―――――

 どっ

 右手と頭を失った巨体が、彼女の脇へと倒れこんだだけであった。
陽光をさえぎっていた異形の物体は、しかしその影を残したまま―――――否、新しい影
を作る存在を彼女は見つける。
陰になっているだけでなく、黒い、まるで闇を体現したようなその姿。
しかし彼女には、それが何者にも代えがたく、自分を安心させる姿。
「・・・だぁく・・・」
 名前。影へと向けられた。
「・・・フン。」
 返すのは、ただ、嘆息。伝わることの是非を問わず、ただそうすることで全てを伝える。
こめられる意味は初めからわかっている。言っているのだ。”大丈夫か?゛と。
「だぁく〜〜〜〜〜〜!!」
「ぐほぉ!?」
 突き上げる痛みは、吐き気にも似て、脳裏には走馬灯が見えた―――様な気がした。
「わぁん、ばかばかばか!何でもっと早く助けてくんないのよ〜〜〜ッ!!」
 連打、連打、連打。世界をつかむにふさわしい威力をもった拳が、影―――ダークの意識
を支配する。
「・・・やめ・・・ちょっ・・・ごふっ・・・」

 3分後。
「あ。ごめん。」
 物言わぬ屍を前に、ようやく我に帰った彼女が呟く。千本昇竜から修羅覇王靠華山、
ダウン攻撃からマウントポジション(馬乗り。クス)での左右連打したあとではあったが。

 惑星ラグオル。先行したパイオニア1の、実に3年半にも渡るテラフォーミング、
および環境調査の末、この星は第2の故郷となるはずだった。
 長い航海の末、ようやく惑星上空にたどりついた本格的な星間移民船パイオニア2を
待っていたのは、『パイオニア1との連絡途絶』という、最悪の事態であった。
 このことをひた隠しにした移民船団首脳は、事の顛末を探るため、あらゆる手段で
パイオニア1、ひいては惑星ラグオルの調査に乗り出したのである。
 調査は、国家機密として厳重に情報操作が行われ、一般公開すらせず、現存する情報を
細切れにし、あたかもパズルの1ピースを渡すかのごとく、大量の調査員を導入し、
攪乱、統合、確認するという、念の入った操作を行っていた。
 そして、これにうってつけの存在がいた。
与えられた指令をこなすことにより、一定の報酬を受け取る、生存においてのプロ・・・
『ハンターズ』である。

 斜陽を受けてきらきらと亜麻色に光る髪を結い上げる彼女を見て、ダークは先ほどと
違う意味で嘆息をつく。顔を覆うマスクのせいで表情をうかがう事はできないが、
心なしかその口元は、微笑んでいるかのように思えた。
 ふと、彼女が視線に気付く。
「・・・なーによー。見とれちゃって。」
「・・・阿呆。」
それだけの、何気ない会話。会話とも呼べないほどの、些細な掛け合い。
彼女には、それだけで十分だった。
 いつしか日も落ち、辺りを闇が支配するようになっていた。この地では先のような
化け物が多く徘徊する。優れたハンターズとして、これ以上ここにいることは、
害になりこそすれ、あまりほめられた選択ではないように思えた。
「・・・戻るぞ・・・」
「うん・・・今日はこれまでだね・・・手がかりが少なすぎるのよねぇ・・・」
「・・・」
「大体、『らしい』程度の未確認情報で、うちらハンターズを軽々しく動かす、上の連中
 の気が知れないわよ。」
『不愉快』を顔に描き、道端の石を拾い上げる。
「あたし達は、便利屋じゃないわよ――ッ!」

「ふぎゃッ!?」

 放物線を描きつつ、怒りのぶつけどころとして消費されるだけだったはずの石は、
思わぬ結果を出した。
「・・・ふぎゃ?」
 暗く、藪の中。
辺りには静寂と、ひそやかな息づかい。
生命のありかたを否定するような闇の中、
二人は程なく、それを見つける。
6〜7歳くらいに見える、ボロボロの毛布をかぶり、年季もののマグを抱いた、
その少女を―――――

               猫による事態の考察 その2

「あ゛い゛だだだだっ!ぜっ、ぜんせぇ、も、もちょっとやさし・・・に゛え゛え゛っ!?」
「なーに甘ったれたこといっとる・・・まったく毎度毎度、すこしはわしに暇をくれても
 良かろうが・・・ダークがおるから、この程度ですんどるものの・・・
おらんかったら、どうなるか解っとるんじゃろうな?」
 パイオニアU、医務船。齢80にさしかかろうとするなじみのドクターの治療室。
老医師は慣れた手つきで、的確に患部へ治療を施している。声には張りと、多少の怒気を
はらんではいるが、その表情はやわらかく、孫を見ているような顔つきだった。
「あ゛あ゛あ゛っ、はいっ!わ、わがっで、ぎにゃあああっ!?」
「いーや、わかっとるんなら、そもそもこんなにわしの厄介になるもんかい。
 ええかキィプ。お前さんには周りに対する注意力ってもんが・・・」
「あ゛―――――――――――っ!!」
 合掌。

 物音一つ立てず、廊下を埋める光を吸いつくすかのように、闇がたたずんでいる。
『治療中』のランプが消えた。
 瞬間、何もなかったはずの『闇』に、人の意識が生まれる。
「ふん、おわったゾイ。」
 スライドするドアの音と同時、そんな声がした。
「・・・・・・」
 視線すら動かさず、声を受け止める。いつものことが繰り返されているだけだから。
「まーたつったっとったんか・・・?何のためにここにイスがあるとおもっとる?無粋な
 飾りを置いとく程、わしも裕福なわけじゃないんじゃが・・・」
「・・・・・・」
「・・・あー、いつもの通りじゃ。2週間もすりゃまた動けるようにゃなるわい。」
「・・・すまんな・・・」
「わしゃ仕事をしとるだけじゃ。礼を言われる覚えはないわい。」
 マスクの下の口が動いたように見えた。言葉を呟いたのではないとすれば、
それは笑ったように思えた。
「・・・ふん・・・お前さんほどの男がハンターズ風情に身を落とすなんぞ、
 考えもせなんだったわ。
『闇の断罪』『ジャッジメント・ダーク』『深遠なる断頭台』・・・
数え上げればきりがないわい。これだけ名をあげた男が、
いまは乳臭い小娘のおもりたぁ・・・」
「・・・好きでやっていることだ。」
「しっとるのか?お前さん、今では「漆黒の騎士」なんぞと呼ばれとる。・・・言うのも
なんだが、あてつけ以外のなんでもないと思うんじゃが?」
「言わせておけばいい。・・・俺は俺・・・それだけは変わらない・・・」
「おーおー。言うわ言うわ。」
 やってられないといった表情で、右手をぷらぷらと振る。
「それより・・・」
 老人の顔がいままでのそれと変わる。
「あの嬢ちゃんじゃ。いったい・・・何者なんじゃ?」
「・・・・・・」
「15人。」
「・・・?・・・」
「看護婦に出た怪我人の数じゃよ。だーれもちかづけようとせん・・・マグも洗浄せんと雑菌
が取れんのに、抱きかかえたまんま、放そうともせんのじゃ。」
「・・・そんなにか・・・?」
「いまは鎮静剤を打って、安静にしとるがな。マグだけは放さんのが、さすがというか
 何と言うか。」
 両手を軽く広げ、『お手上げ』のジェスチャーをしてみせる。
「どこにいる・・・?」
「第6病棟、1106号室じゃよ。いっとくが、お前さんが行ったトコで無駄じゃし、
 わしも関係者以外をあそこへ入れるつもりもない。発見者には悪いが、もう少し待って
 くれんかの。」
「・・・・・・」
 軽く、嘆息。
「お?」
 白衣の内ポケットから、医師ギルドのカードを取り出す。メールが入っていたらしい。
片手で2、3操作すると、医師の顔に驚きの表情が浮かんだ。
「・・・うはぁ・・・こいつぁたいした嬢ちゃんじゃなぁ・・・」
「・・・なんだ?」
「48時間はすやすやねむっとるはずじゃったんだが・・・どうやら逃げ出したらしいワイ。」
「!?」
「ま、何言っても言い訳にしかならんわな。わしはちょっと行って来る。お前さんは
 キィプのそばにいてやれ。」
「・・・ああ・・・」
 そうして、光の中で、また闇が一つ。遠ざかる足音を聞きつつ、目を閉じる。
どうせキィプの眼がさめるまで、多少の時間はあるだろう。
たまには足を休めてみるのも、気分転換にはなるかもしれない。
管理者に似て、古ぼけた感のあるソファーだが、役割を果たすものを
無下に責めるわけにもいかない。
人も物も同じ。ただ、自分に与えられた役割を果たせば、それでいいのだから。
 愚にもつかないことを考えながら、腰をおろす。
 幾度、この部屋の前でドアのスライドする音を聞いたことだろう?
力はあるが使い方を知らない、新米ハンターと組む前から、このドアを見つめてきた。
何人も、何人も、自分の前を通り過ぎていった。
いつか、自分も追うことになるのだろうかと、ひどくおびえた時期もあった。
壁に拳をたたきつけ、全てをのろったときもあった。
 思えば、ここが自分の居場所なのかもしれない。
 ただ、待つこと。
 それが自分に与えられた役割なのではないか―――と。

衣擦れの音。気付くか気付かないか、それだけの、小さな音。
自分でなければ、わからなかったかもしれない。が、気付いたことをほめるより先、
反省材料のほうが先にたった。
「・・・眠っていた・・・のか・・・?」
 普段ならば、ありえないこと。
ここはパイオニアU、人間領であり、さらにここは医務船である。
 とはいえ、このような廊下で寝てしまうことは、昔の自分ならば、自殺行為だと
考えるだろう。
 何かが変わってきている。
 それが好ましいかどうかはともかく、戸惑いを持つことを禁じえない。
全てを捨てたはずの「闇」に、安息の地など無用のはずだったのに。
『安らぎ』。言葉としては知っていた。つもりだった。
血と罪に汚れきった自分には、不釣合いなものだということも。

 ―――それを与えてくれたのは―――

 コンプレッサーがわずかな音をたて、ドアがスライドする。
いったいどのくらい眠っていたのか、消灯時間をとうに過ぎているらしく、
病室に灯りは着いていなかった。
 6つあるベッドのうちの一つに歩み寄る。他のベッドに患者がいないのもあるが、
目当てのものは、わかりやすい気配なのだ。
 確認の必要もない。備え付けの、スチール製のパイプイスを取り出し、
ベッドの脇へ置く。
 何を期待することもない。ただ、いつものように、待てば良い。
・・・いや、待つ必要すらないか。
「・・・フン・・・」
 多めに息を吐き出す。それだけ。『言う』ことはそれしかない。
「あ・・・きづいてた?」
「・・・・・・」
「ちぇー。眠った頃に、悪戯しようとか思ってたのに・・・」
 眉根にしわを寄せ、子供のようなことを呟く。
「・・・阿呆。」
「へへ・・・ねぇ?おなかすいちゃった。なんか食べるもんない?」
 そういわれても。消灯時間をとっくに過ぎた医務船で、食べるものの調達が
できるはずもない。
「・・・む・・・」
「あー・・・ないよね。んじゃいいや。ジュースでも買いにいかない?」
「・・・動いて平気か?」
「えへへー。」
 寝たままで、へたくそなガッツポーズをとる。
「寝ていろ・・・買ってきてやるから。」
「あん、あたしも行くってば。」
「まだ痛むだろう?」
「いーの、ダークと一緒に買いに行くの。」
 いそいそと体を起こし、支度をする。
 また、嘆息。仕方ないことだろう。これでは『騎士様』呼ばわりされても
当然かもしれない。
「抱きかかえてやろうか?」
「あ、いいね、それ。」
 真顔で答えられても困るというものだ。
「寝てろ。」
「ああ、ごめん、ごめんってばぁ!」
 そうして、歩き出す。

 当たり前のことだが、誰もいないということは、静かだということだ。
場所が場所だというのもあるが、まっすぐ伸びた廊下には、物音を立てる物体は、
何もなかった。
「んふふー。」
 訂正。パタパタとスリッパの音を響かせる、まるでブギーポップのような存在が
いた事を失念していた。・・・いや、無視していた。
 あと、30メートル。
そこの自販コーナーへ辿り着けば、すこしはおとなしくしてくれるだろう。
この騒音妖精に、無駄な期待だとは知りつつも、そう願わずにはいられない。
「ねぇ。」
「・・・?」
「夜の病院って、変じゃない?」
「・・・・・・」
「たっくさん人がいるはずなのに、誰もいないの。あちこちで働いてさえ
 いるはずなのに、誰もいないの。」
 薬品のにおい。新しいシーツの香り。人気のない建物の、わずかな吐息。
「おかしいよね。まるで、人の生きていられるところじゃないみたい。」
 血のにおい。苦痛。未来を閉ざされた、止まっていく呼吸。
「いま、ここでこうして、2人でいること。」
 過ぎ去った日々。失ったもの。帰らぬ人たち。
「奇蹟だよ、きっと。」
 未来。暖かい体温。守るべきもの。
「・・・そうだな。」
「うんっ!」
 戯れにかけた一言。ただ、それだけの、何気ない会話。それが何より暖かく、
心地よい。自分はやはり、変わったのだろう。なぜか、など追求する必要もない。
何かが変わったとしたとて、自分は確かにここに存在するのだから。
「とうちゃーく!」
 いつのまにか、自販機のモーターのうなり声が聞こえていた。
小銭入れからコインを取り出し、ほうってやる。
「早くしろよ。」
「えー?ゆっくりえらばせてよぉ。」
「・・・まぁ、かまわんが・・・」
「えへへー、ありがとー。」
 いそいそと5、6台の自販機が詰め込まれた小スペースへ駆け込んでいく姿を
ながめながら、また嘆息をつく。
「奇蹟・・・か。」
 誰にもきこえないほどの、ささやかな呟き。
「礼をのべずには、いられんな・・・」
 誰に、などわからない。ただ、感謝の気持ちがあるだけ。一人ではないのだから。

 自販スペースの向かい。一つだけ、ぽつんと扉があった。
「・・・?」
 殺気ではない。人の気配ですらない。ただ、なにかがいる。
ゆっくりと、注意を払い、扉へ近づく。そこにはかすれた文字で『清掃用具』と書かれて いた。
 ノブを回す。初め、耳障りな音を立てたが、それも一瞬のことで、あとはスムーズに開いた。
 雑多。部屋の様子をあらわすには、それだけで事足りた。
立てかけてあるモップ。大型の掃除機。床に散らばる雑巾。ある種、調和すら見出せる。
そんな部屋の隅。気配が二つ、変わることなく居続ける。
 この中には明かりすら入らない。使われることのない道具が散乱する部屋で、
なにかの息づかいが一つ。
 怯えではない。殺気でもない。かたくなな意志。それだけを感じる。
「誰か、いるのか・・・?」
 おろかな問いかけだと思った。『人』はここにいない。おそらく、何かの拍子に
迷い込んだ動物程度だろう。これは病院の仕事だ。わざわざ自分が進んでやることではない。
そう考え、きびすを返しかけた頃。
「ん?どうしたの?」
 恐らく自販機で売っていたのであろう、板チョコを口にくわえたキィプが、
そこにいた。
 視線で促す。目には、『音を立てるな』の意。通じたかどうかは定かではないが。
とにかくキィプは、中にいるものに興味を持ったらしい。持ってしまったらしい。
「まぁ、いつものことか・・・」
 あきらめたように呟く。実際、そうする以外にないのだが。
「暗いねぇ・・・」
「・・・・・・」
 ちりん。そんな音がした。
「・・・?」
 音の方を、キィプが覗き込む。
闇の中、らんらんと光る目が一対。
思わずダークの方を振り返る。瞬間についた嘆息は、『好きにしろ』と取って
良いのだろう。
 こわごわと、しかししっかりと、『何か』に近づく。そろそろ闇にも目が慣れる。
初めに目に付いたのは、曲線を描く白。それに巻きつく、小さな腕。
 それに近づくもうひとつの腕。―――腕・・・?
 瞬間、閃きが走る。
「―――――っ!」
 うかつ。そう思ったときには遅かった。自分がいながら・・・!
「キィ!平気か!?」
 赤。流れる赤。寝巻きから染み出す色はとても黒く、そして重い。
「まって、こないで!」
「!?」
「大丈夫だよ・・・ほら・・・?」
 そして虚空を流れる赤い腕。その先に示すものは―――困惑。
「に・・・にゃあ・・・?」
 ―――猫か。つめで引っかかれたのだろう、後で消毒してやらないと・・・
「大丈夫・・・怖がらないで・・・?」
 過保護に過ぎるかもしれないが、気が気でないというのは、
こういう時のことを言うのだろう。
 追い詰められた猫が何をするか、いやというほど思い知らされたこともあるのだ。
手は自然とジャケットの内ホルスターに伸びる。最悪、かわいそうだが・・・
「ダーク。」
 ただの一言。嘆願でもあり、嗜めでもある一言。
仕方ないといった表情で、やむなく手を下ろす。この声に逆らえはしないのだ。
キィプは部屋の隅へと進んでゆく。それは自然、相手との距離を縮めることになる。
こいつはいつだってそうだ。人が恐怖の対象としている存在でさえ、意に介することなく
近づいてゆく。それが死の危険をはらんだものでさえ。
 少しづつ、距離は縮まっていく。無防備に近づいてくるものに戸惑っているのか、
猫は動く事もしなかった。
 いや、すこし動いている。・・・曲線を描く白い物体。それを隠しているように見える。
 キィプの手が伸びる。
 また、白が動く。
「・・・大事なの・・・?大丈夫だよ、取ったりしないから・・・」
 見守る中、キィプの手は相手の輪郭をなぞっていく。それは存在を知らせる行為。
―――目を疑う。そう言う言葉がある。見たものが信じられない。なぜなら、
『ありえない』のだから。
 震える輪郭を、キィプは優しげに撫でていく。
ぼさぼさに伸びた髪。
ところどころ泥に汚れた肌。
闇の中でなお輝く、大きな緑色の瞳。
かばうように抱く、古ぼけたマグ。

    そこには、地上で見た、あの少女がいたのだ。

 人でありえない気配を持つ『それ』を、キィプはいとおしげに撫で続ける。
「・・・フウウウゥゥゥゥ・・・」
 警戒音。正体に戸惑っている場合ではない。早く引き剥がさないと・・・

―――ぐううぅぅ・・・−――

 さらに、音。
撫で続ける手が止まる。
「ふふ・・・おなかすいてるの?あたしと一緒だね。」
 ポケットを探り、自販機で買ったチョコレートを出す。くりくりと動く瞳が見つめる中、
それを二つに折り、少女へと差し出す。
「はい。」
 少女の目はめまぐるしく動く。相手、マグ、目の前のチョコレート・・・
「はんぶんこだよ。」
 言って、片方を口にくわえる。
「はい。」
 鼻を近づけ、においを嗅ぐ。また、少女のお腹がなる。
そして、こわごわと、チョコレートをくわえる。
 ぱり、ぱり。
暗闇で、二人がチョコを食べる音だけが響く。
 また、キィプは少女の頭を撫でる。
「・・・いい子、いい子・・・。」
 ヴィリジアンの瞳がゆれる。そこから零れるものもかまわず、チョコを食べ続ける。
そして、穏やかに、しかし徐々に、嗚咽が漏れ始める。
撫でる手はそのまま。なんらかわることなく、往復を続ける。
嗚咽はすでに、すすり泣きへと変わっている。
 こいつはいつだってそうだ。どんなものでも分け隔てなく、
全てを包み込んでしまうのだ。
 ぱり、ぱり・・・
いつしかキィプは、少女の頭を抱いていた。
「もう、こわくないからね・・・」
 ぱり、ぱり・・・
「いっしょにいてあげるから、へいきだよ・・・?」
 ぱり、ぱり・・・
 俺は今まで、何をしてきたのだろう。
全てをひれ伏させる力を持ちながら、人一人を助けることができない。
全てのものに恐れられながら、自分を慰めることすらできない。
全てのものを捨てておいて、何一つ手に入れることができない。
 力とは、なんだろう?
 強さとは、なんだろう?
それが一体、なんの役に立つのか。現に、自分は今、目の前の少女に、
声をかけてやることすらできない。
 華奢な細い腕から、重い赤が零れる。赤は、虚空を貫いて床へ堕ち、
意味のない真円を大きくしている。
抱きしめる少女の瞳からも、ぼろぼろと思いが零れ落ちている。
 きっと、一生、かなわない。
ただ漠然と、そんな気になる。
「いい子、いい子・・・」
 嗚咽は、いつのまにか、号泣へと変わっていた。
いつまでも、いつまでも、途切れることなく、心の傷を削ぎ落とすかのように、
長く、深く、いつまでも。

光に包まれながら、闇へと語りかけるように。

いつまでも、いつまでも。









                            To be continued・・・






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