1999年9月12日(日) 冷めてゆく気持ちの中で


 今週は特に話題もないのでコラムはお休みにしようと思っていた。ただ、いつも心の中でチェキッ娘のことを考えていることは事実であり、その気持ちを素直に書こうと思いキーボードに向かうことにした。

区切りの季節

 テレビ的にはチェキッ娘の全員卒業(サンスポに「解散」と書かれたので以後解散と呼ぶ)が発表されない中、情報の早いネット系ファンはラストコンサートのチケットを獲得し、解散まで秒読みという心境なのだろうか?少なくとも私自身はそんな気持ちである。

 このページを通じてたくさんの人と知り合うことができ、毎日のようにメールを交換しているが、最近は話題もとぎれがちで目新しい情報もほとんど入って来ない。私の方には解散後「普通の女の子に戻る4人のメンバー」と「その辺がまだ未定な2人のメンバー」の情報だけは入っているが、確定の情報ではないので明言は避けたいと思う。

 また今週は唯一の生放送のGOLDも先週の録画ものだったらしく、プロジェクトスタッフも10月改編以降の動きに忙しいのだろうし、チェキッ娘のメンバーも短かった夏休みを終えて学校のある娘は学校生活に戻り、あるいは解散後に向けての新しい動きをしているのかも知れない。

ファンの気持ち

 新聞での解散発表から2週間が経ち、おおかたのファンはその時受けたショックからの心の整理はついたのではないだろうか?そして11.3のラストコンサートのチケットも取り終え、番組の企画ファイナルや総集編を見ながら、冷めていく気持ちと戦っている・・・私を含めた多くのファンはそんな日々を送っているのではないだろうか?

 最近は現場にも行く機会がないのでよくわからないが、少なくともネット系ファンに「完全なあきらめムード」が漂っているのは事実のような気がする。

あるできごと

 そう言えば、事件なのかよくわからないがオフィシャル掲示板でちょっとした議論があった。私は見ていないのだがモーニング娘。がとある歌番組でチェキッ娘の話題になったときに彼女たちをバカにしたとかしないとか・・・。正確には相手にしなかったという感じなのだろうが、私もエッセイで書いている通りこの2つのグループは「娘」「グループアイドル」という点でしか共通点はなく、そもそものコンセプトがまったく違うので両者を比較対照すること自体ナンセンスである。

 チェキッ娘に注目する寸前、私も多少の興味を持って『モーニング娘。5+3−1』という本を買って読み、昨日これを読み返したが「もしモーニング娘。のメンバーたちがチェキッ娘のメンバーだったら」「チェキッ娘にモーニング娘。の面々がいたら」ということは想像もできなかったし、もしそうなっていたら私もチェキッ娘にここまで熱くなることはなかったかも知れない。

 世の中にはいろんな“もしも”があり「モーニング娘。が20人だったら」とか「チェキッ娘が10人だったら」とか「チェキッ娘をつんくがプロデュースしたら」とか、とにかくいろいろなことが考えられる。しかし、世の中で起こっていることは本当にたくさんある可能性の中の1つであり、もしものことを考えはじめたらまったくきりがないのである。私のおニャン子クラブでの一押し高井麻巳子さんは、『おニャン子白書』で「IFのことは考えない」と言っているので、素直にそれに従おうと思う。

 そして現実は現実としてしっかり受け止めなくてもいけないのである。

心の整理

 私がチェキッ娘にはまっていった理由にはいくつかある。これまで再三申し上げているとおり、おニャン子クラブにオーバーラップさせた面もあるし、押し上位の娘が見たくて番組を見続けたということも当然ある。また、社会人になり起業とかプロジェクトというものに関わった経験から、表に見えている部分だけでなくプロジェクト全体として研究してみるのも面白そうだったということもある。

 しかし、私の中ではもう一つ、たぶんこれがなければいまだに「チェキッ娘?まだ終わんないの?え?やっと終わるんだ」みたいなことを言っていたと思う。

 私がチェキッ娘に本格的にはまっていった時期は、仕事で大きなトラブルを抱えていた頃のことである。その前までやっていた仕事に精神的に疲れていた上に、新しい仕事も楽しくはあったけれども不調。おまけに大した楽しみもなく淡々と毎日を過ごしていたところに、スッとチェキッ娘の番組がテレビガイドを見て入ってきたのである。この感覚はきっと中学時代、勉強と部活に追われていた毎日の中に「夕やけニャンニャン」とおニャン子クラブが入ってきたのと同じだったのではないだろうか。とにかく、学生時代に競馬にはまったのと同じような感覚で自分自身の中にチェキッ娘が入ってきたのである。

 そんな経緯もあってつい最近まで私は社会人でありながら仕事よりもチェキッ娘に熱中していた。そして「そろそろ何とかしないと・・・」と思っていた矢先の解散発表。主なイベントにも1回は行ったし「これを機に昔の仕事にまた戻れるのなら」ということで、私自身にとってはある意味良いタイミングだったのかも知れない。

 この約5ヶ月間で私のメンタル的なストレスはチェキッ娘のメンバーやこれを通じて知り合った方との交流の中で癒されたような気がする。なぜなら、あれだけ「休みたい」と真剣に考えていた前の仕事を「また頑張ろう!」と前向きに思えるようになったからである。

 だから、最後のコンサートでそれぞれの道に旅立っていくチェキッ娘のメンバーには心から「ありがとう!」と叫び続けたいと今は思っている。

思い出して欲しいこと

 これは自分自身に対して言っていることでもあるのだが、最近チェキッ娘への気持ちが冷めてきているかた全員に思い出してもらいたいことがある。

 それは「はじめてチェキッ娘の番組を見た日のこと」「はじめて一押しのあの娘を見たときのこと」「チェキッ娘にはまりはじめたときのこと」「毎日のようにチェキッ娘の番組を見始めた頃のこと」「はじめてチェキッ娘メンバーを生で見たときのこと」「はじめてイベントに参加したときのこと」「今まででいちばん熱かった今年の夏のこと」などなどである。

 私には私の、皆さんには皆さんのチェキッ娘にまつわるストーリーがあると思う。皆さんのストーリーは当然私とは違うはずであるし、きっと私以上の素晴らしいストーリーを持っている方ばかりだと思う。そして、その想いのすべて、ストーリーのすべてによってチェキッ娘は支えられているということをもう一度考えて欲しいと思うのである。

 チェキッ娘のメンバーたちは、もしかしたらプロジェクトの旋風の中で自分自身を見失いそうになりながら、ただただ一生懸命、周囲の景色も目に入らないような1年間を送っていたかも知れない。あれだけの大集団の中にいながら、実は個々に戻ったとき、すごく孤独な気持ちだったのかも知れない。もしそうだとすれば、きっと支えていたのはファンの熱い気持ちだったはずである。そしてそれは永遠に彼女たちの心の中に残るもののはずであるし、だからこそ私たちファンは全員が卒業するまでその熱い想いとストーリーを新鮮な気持ちで持ち続けなくてはならないのである。

 残された52日間は私たちのチェキッ娘ストーリーの最終章である。ラストライブに向けて、チェキッ娘のメンバーと同じく私たちも、もう一度最初のキモチに戻って一から出直さなければならないだろう。

 精一杯の『ありがとう』を言うために・・・

 以上、今週のコラムでした。

1999年9月12日 BATCH



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